日本語「すみません」の意味を考える〜本当に謝るだけの文化なの?〜

日本人はよく「外国人と比べてよく謝ってる」とか「すみませんって言い過ぎ」とか言われたりします。

 

人によっては「感謝を伝えるときに、すみませんってなんで日本人は謝るの?だから私はありがとうって言うようにしてるのよ!」って方もいますよね。(日本人で)

 

でも、私はその考え方は少々乱暴というか、意味を雑にとらえてしまっているのではないかと感じるのです。

 

例を挙げながら語らせてください。

 

 

まず、私が外国人にすみませんの意味を尋ねられたら、

 

Thank you.

Sorry.

Excuse me.

 

と主に3つの意味があると答えています。

 

「便利でしょ〜1日ずっと"すみません"だけでも過ごせる。魔法の言葉よ」って冗談を言ったりして。

 

 

普通に考えて、謝るときと、誰か知らない方に話しかけるときの「すみません」はそれほど議論に挙がらないと思うので、今回は「ありがとう」の意味で使う「すみません」を考えてみます。

 

 

ではさっそく、「ありがとう」の意味で「すみません」を使うのって本当におかしいことなのでしょうか?

 

 

私はどちらも使います。

 

ありがとうの意味で「すみません」を使うときって、

 

そこまでしていただいて、ありがとうをいくら伝えても「済みません」

 

といったニュアンスを含んで伝えていると思うのです。

 

 

だから、ストレートに感謝を伝える「ありがとう」と

 

相手への労いの気持ちを含んだ感謝である「すみません」は

 

全く同じ意味では使っていないので、やっぱり使い分けていると思います。

 

 

例えば、相手が一生懸命誕生日プレゼントを選んで用意してくれたら

 

「ありがとう!!」

 

これは、「すみません」を使うのはちょっと違うかな?って感じがします。

 

 

でも、本来私がするはずだったトイレ掃除を、他の方が時間があったから先にやっといたよ!っていうシーンでは、

 

「すみません!ありがとうございます!」

 

って言いそうです。

 

本来なら私がするはずだったのに、どう労っても済みませんが、感謝いたします。

 

といった感じでしょうか。

 

 

このように、「ありがとう」と「すみません」では、少し使うシーンが異なるし、全く同じ意味で使っているわけではないということを考えると、やはり私個人的には、「すみません」を乱暴に「謝ってる!」「ありがとうって言えばいいじゃん!」って片付けてしまうのは、少し乱暴に感じてしまうのです。

 

 

ただし、日本では、単純に「相手を上げる」というよりは「自分を下げて」相対的に相手を上げるという文化が根付いているのだろうというのは、全くその通りだと思います。

 

それを考えると、「すみません」と感謝するのが嫌だという人は、「私の気が済まない」と自分を下げて遠回しに相手に謝意を伝えるというのが、合わないのかもしれませんね。

 

 

それから、"謝意"と書いて気づきましたが、感謝も謝罪も"謝意"ですよね。

 

もしかしたら、どちらも「すみません」の意味を含むこの曖昧さが、現れているのかもしれません。

 

 

私は西洋風の「自分を大事にする」「ストレートに伝える」という文化も、「相手を上げて自分を下げる」「遠回しに表現する」という日本文化も、どちらもそれぞれに好きです。

 

時と場所によって、バランスよく組み合わせられる人になりたいな。