夫からの質問「"ら抜き言葉"ってどう思う?」
ときどき夫から、急にこんな質問がとんでくることがあります。
今回は「ら抜き言葉」をどう思うかです。
結論から言うと、「うまく変化していて、むしろ「ら抜き言葉の方が正しい」と言いたい気持ちもあるけれど、まだ公的に認められていないので自分では使わない。」が私の答えです。
(1)便利さとわかりやすさ
現在認められているかどうかはさておきとして、ら抜き言葉って、文法的には使いやすいというか、機能的だなと感じます。
だって、「食べられる」って、尊敬なのか可能なのか、曖昧じゃないですか。
「食べれますか」って聞かれたら Can you eat? の意味で
「食べられますか」なら、Would you like to eat? の丁寧な感じになります。
だからわかりやすくて便利!
(2)言葉は変化するもの
あくまでも、いま正しいかという議論はおいといて、言葉というのは年月をかけて変化していくものです。
複雑化したり、単純化したり、新しく増えたり、なくなったり、いろいろです。
いま私たちは、平安時代のような言葉を話すでしょうか。
江戸時代のような言葉を使うでしょうか。
一部はそのまま残っていたり、変化していたり、さっぱり意味がわからなかったり、しますよね。
言葉はどんどん変化していくんです。これは誰か一人が変えられるわけではありませんね。
これら2点を考えると、ら抜き言葉を頭ごなしに否定してしまうのは、「変化を受け入れられない考え方」のような気がしてしまって、私は好きにはなれないのです。
(3)自分では使わない
これから時間をかけて、「可能の意味で使う時は"ら"を抜く」というのが、文法的に正しくなるときがくるかもしれません。
しかしながら、ら抜き言葉はまだ正式には認められていません。
ということは、ら抜き言葉を不快に感じる人もいるかもしれないですよね。
それならば、まだ使わない方が無難だなと思うので、私は自分では使いません。
もちろんたまに間違って言っちゃうときはありますけどね。
誰かを不快にさせてまで使いたいと思うほどのこだわりはありません(笑)
(4)この曖昧さが意外と良かったりする
付け加えるとすれば、可能も尊敬もどっちも含む曖昧さが、日本語っぽくてけっこう好きな気持ちもあります。とっても古文っぽい。
機能的な変化か、文化的な名残を保持するか。
私はどちらもそれぞれに受け入れていますが、みなさんはどう考えますか?