『親が家に人を招いたとき「挨拶しろ」と強要されて嫌だった』を考える
毒家庭出身の30代主婦が、健康的な家庭で育った夫、その親兄弟との付き合いを通して気づいたこと、考えたこと。
夫実家にて
夫と結婚したばかりの頃、夫とともに夫実家へ行く機会があった。
夫には、実家に住む兄弟がいるのだけど、姿がなかったので「兄弟くんは今日はお仕事ですか?」と夫両親に聞いた。
すると、夫父が「寝てる。」と言う。
私は驚いたが顔には出さず、「そうですか。」と返した。
しかし、すかさず夫母「寝てないと思うよ。起きてると思う。」と言う。
私はさらに驚いた。
なんていうか、うちの実家とは全然違う。
義理の兄弟姉妹が家に来ても、寝てる、または挨拶せずに部屋に引きこもっているという状況を、両親が認めているということに驚いた。
自分の実家なら引きずり出されてるところだ。
だから内心「え!それって、いいんですか?(笑)」って。
もちろん肯定的な意味で。
それって許してもらえるんだ!っていう、心が躍るようなキラキラした気持ちになった。
子どもを自由にさせてくれる夫両親のことが、ますます好きになった。
きっと、自分が実家でやったら許されなかったことが、夫実家で許されたから、自分が夫兄弟に重なって見えて、自分が許された気持ちになったんだと思う。
ちなみにこのとき、時刻は夕方4時。うちの実家だったら、寝てれば張り倒される時間だ。
夫親戚宅にて
そんな経験をして、ルンルンしていたころ、夫の親戚の家に挨拶に行く機会があった。
この日訪問した親戚宅には、思春期の男の子がいて、部屋にこもっていた。
そしてその子の親兄弟が「おい、出てきて挨拶しなさい。」と、男の子に声をかけたが、出てこなかった。
このとき私は、「私たちの都合で押しかけているのだから、無理に挨拶させようとしなくてもいいよ」と思っていた。
これがうちの実家なら、許されたものではない。
「いつまでパジャマでいるんだ!」
「さっさと着替えて挨拶しに来い!」
と、部屋のなかまで来て怒鳴られ、ぶん殴られているだろう。
一方通行。親子逆なら?
「なんで親が勝手に日時を決めて人を招いておいて、挨拶を強要されなきゃいけないんだ。お茶汲みまでマナー良くさせられて。」と、実家に住んでるときはよく思ったものだった。
でも、大人になって家庭を持ってからも、あのとき感じた理不尽な気持ちは、特に間違ってもいなかったんだなと思う。
一緒に住んでる家族が、人を家に招くとき、「挨拶してほしい」とお願いするのも自由、それを受けて挨拶するのも自由。
そういうふうに思うようになった。
ところで、親子逆のときは、通用しなかった。
家に友達を呼びたいなら、事前に親に許可をもらわないといけないし、断られることも多かった。
これは家庭によっていろんなやり方があると思うけど、私は、子どもが急に家に友達を連れてきたりしたら、「めっちゃ嫌だ面倒くさーい」「家でのんびりしたいー!」「今日はごめーん」って思うタイプだと思う。(まだ子どもいないけど。)
だから、事前許可制は、私も引き継いじゃいそうだなと思った。
そこで気づいた。
子ども側も、そう思っていいんじゃない?
親が勝手に連れてきた人には、子どもは挨拶を強要されるのに、逆は通用しないっていうのが、けっこう子どもはかわいそうだなって。
同居してる人と「何月何日何時に、誰さんを呼びたいと思ってます。良かったら挨拶よろしく。」って連絡は、親子かどうかって、あんまり関係ないなって思った。
一緒に住んでるメンバーとして、親子で話し合うくらいは、してもいいよな。
とにかく、親から子に対する一方通行のルール押し付けが嫌だった。
自由な夫家と強要の私家、結果は
さて、「家に人が来ても挨拶するかはその人の自由」で育った夫や夫兄弟と、無理やりにでも挨拶させられてきた私は、大人になってどうなったか。
結果的に、夫や夫兄弟は、対人マナーも良いし、人に気を配れるし、がんじがらめにされて育った私よりも、はるかに成功しているように見える。
自由に育てられた方が、自分で学ぶ機会が多いからなのか。
または、私のような育ち方をすると、指示されないと動けない、間違った行動をしてしまうのが恐怖ゆえに、どう行動していいかわからなくなってしまうからなのか。
はたまた、持って生まれた性格なのか。
あるいはその両方か。
理由は明確にはできないけれど、厳しく調教した馬のほうが、必ずしも速く走れるというわけではなさそうだ。
夫と話し合った結論
「人にされて嫌なことは、やらない」
終わり。