毒親に対して持つ複雑な感情

 

毒親から離れて新しい平和な世界を見つけてから、何年も経つ。

 

それでもふとした瞬間に昔のことを思い出したりして、複雑な気持ちになることがある。

 

あとは、予期せず遭遇してしまって傷つくことも。

 

 

毒親に育てられた人って、虐待されて育ったのと似たような気持ちを抱えているんじゃないかと思う。

(私は、人に説明するのが面倒なときは「簡単にいうと虐待されて育ちました」って言ってしまっている。)

 

だって、優しい瞬間も、愛情に溢れた瞬間も、確かにあったもの。

 

ミルクを飲まない子どもだったので、完全母乳で育てられた。

 

暴力暴言毒父は、どんなに仕事が忙しくても、機嫌の良いときはこれでもかというくらい、本気で遊んでくれた。

 

だから、愛情がなかったわけじゃない。

 

両親の仲が良かったのか悪かったのかはわからない。でも、未だに二人は一緒に住んでいるし、離婚もしていない。

 

毒父はいわゆる昭和の頑固ジジイで、根性論が大好きだったから、ものすごい大量に仕事をした。本当の中流家庭だったけど、私は経済的には恵まれていたはずだ。

(それを盾にして脅されていたのは別として)

 

こうやって考えると、両親の死別離別は経験していないし、明日の食べ物に困るような貧乏ではなかった。

 

その点は、やっぱり恵まれていたんだろうと思う。

 

「両親には感謝すべき」信者の方々は、そういうところだけが見えてるのだろう。

 

 

しかし一方で、傷ついて凹んだまま、長年癒せないでいる部分もたくさんある。

 

暴力をふるわれた。

暴言を吐かれた。

モラハラされた。

 

とか書けばたったの3行だけど、詳細に書いたら、心をえぐられるような寂しさと悲しさと、なんともいえない苦しい気持ちになる。

 

 

愛に満ちたあたたかい家庭だった瞬間と、虚無感にかられて自分の存在を完全否定した瞬間と、両極端な感情が同時に存在するから、とても混乱する。

 

そして、毒親のもとを離れて、あたたかい環境(新しい家庭、友人、友人の家庭、会社の良好な人間関係)のなかに身を置くと、贅沢でありがたいことにそれが「普通」になってしまう。

 

幸せで心地よいのが普通になってくると、なぜかわからないが「愛に満ちたあたたかい家庭だった瞬間」の方ばかりを思い出す。

 

思い出すまでなら良いのだが、さらにそこから毒親に期待を抱いてしまう。

 

『きっと両親も改心して、いまなら仲良く話せるはず』

 

当然そんなことは起こり得ないのに、謎な期待をしてまたがっかりする。

 

なぜ期待してしまうんだろう?

諦めきれないのだろうか?

 

昔よりも、打撃を受けたあとの回復はめちゃくちゃ早くなったけれど、会わないに越したことはない。

 

傷つくのがわかっているのに淡い期待を抱く。

 

 

毒親を持つ人ってこんなものでしょうか?

 

あたたかい思い出を信じたり、いつか墓石に棺桶にツバを吐いてやると思うほど憎んだり、謎に期待を抱いたり。

 

とても複雑な気持ち。

 

 

 

毒親サバイバル

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