年子の兄妹ゲンカを見てしまった〜正しい導き方を考える〜

たまたま動画サイトで年子(2~3歳)の兄妹ゲンカを目撃してしまった。私が見たところでは、子どもにとって理不尽なことを親が強いていると感じましたが、コメント欄では「兄が悪い」「妹がかわいそう」など、どちらかを擁護する発言や「親が悪い」「どっちの子もかわいそう」と親を批判するもの、逆に「親を批判するのはまちがっている」「親は愛情を持ってホームビデオを動画サイトに投稿している」「奪い合って成長する」などの意見が見られました。 コメント欄も含めて大変不快な気分になったけれど、「じゃあ親はどのように子どもと話し合うのがいいんだろう?」と思ったので、自分なりに考えをまとめてみることにしました。
 
まず先の兄妹ゲンカはおおまかに以下の流れでした。
 (1) 兄のオモチャを持って妹が遊び始める。
 (2) 兄は自分のオモチャを取られたことに怒り力で取り返す。
 (3) 親が「そのくらい貸してあげなさい」と兄を叱る。
 (4) 兄が「嫌だ」と主張する。
 (5) 親が「なんで仲良く遊べないの」と兄に怒る。
 (6) 兄が妹を張り倒す。
 (7) 親が妹を擁護する。
 (8) 最初に戻るを繰り返し、兄は次第にヒステリックになっていく。
 
よく見る光景だけど、これでは兄妹どちらもかわいそうだと胸が痛みました。ひとつずつ丁寧に見ていきましょう。
 
(1) 兄のオモチャを持って妹が遊び始める
兄のオモチャを勝手に妹が使い遊び始めてしまった。妹は当然悪気はありません。まだ誰のものという区別も曖昧のように見受けられました。だけど、悪気の有無にかかわらず、人のものを勝手に使い始めてはいけませんよね。まだ「貸して」と言葉で交渉できない年齢なら、妹の代わりに親が先に「妹ちゃんが遊びたがってるんだけど、貸してくれる?」と一言声をかけた方が良いでしょう。これによって妹も「人のものを借りたいときは、一言声をかける」というマナーを覚えられるでしょう。
 
大人の世界で考えてみてください。私ももういい年したオバさんですけど、もし自分の化粧品を勝手に妹が使っていたら「ちょっと!一言いってくれたらいいじゃん!」って思いますよ。もともと共有しようと決めていたり、なんとなく一緒に使うものってわかっているなら気にしませんけど、急にそんなことになったら、あれ?って思うはずです。夫婦間でだって、「これ借りていい?」とか聞きあったりしませんか?
 
 (2) 兄は自分のオモチャを取られたことに怒り、力で取り返す
いくら自分のオモチャを無断で取られたからといって、暴力で解決しようとしてはいけません。きちんと言葉で「それは勝手に使われたくない」と伝えなくてはいけません。親は「妹ちゃんが勝手にお兄ちゃんのオモチャを取ったのはいけなかったね。だけど力で訴えるのはよくないよ。」と話してあげた方が良いでしょう。そうすれば、「自分の理不尽さを親はわかってくれた」という安心感も出るので、なおのこと「暴力はいけない」というのがすんなり入ってきやすくなるでしょう。
 
 (3) 親が「そのくらい貸してあげなさい」と兄を叱る
「そのくらい」なんて、兄にとっては大事な大事なオモチャなのに、人の価値観を軽視するなんて、親にされたら子どもはショックですよね。ただでさえオモチャを取られて理不尽な思いをしているのに、その上「そのくらい」なんて否定されちゃったら素直になれません。
 
先の大人世界の例の続きで考えてみたらわかりますね。「一言いってよ!」ってなったとき、もし親が「化粧品くらい勝手に使わせてあげなさいよ」なんて言ったら、どうでしょう? 貸すこと自体が嫌なわけじゃないんだ。でもこれはブランド限定のやっと買えた大事な大事な品でうんぬん。「たかが化粧品」なんて、なぜ親に価値を決めつけられなきゃいけなんだ!と思ってしまうかもしれませんね。趣味のものなんて、他人から見たらガラクタですよ。でもその価値は本人が決めることですから、周りがとやかく言うことは控えたいですね。たまに見かける「夫の趣味のものを妻が無断で処分してしまった」というのもヒントになるかもしれません。
 
 (4) 兄が「嫌だ」と主張する
自分の意思表示ができるのはとても良いことです。普通に考えればわかりますが、「貸して」の答えが「いいよ」とは限りません。それなのになぜか、幼い子どもの間には「いいよ」の一択しかないと主張する親がいるのは解せません。 「貸して」の答えが同じ「いいよ」だったとしてもバリエーションはあるし、「ごめんね」と断る場合だって存在します。
 
例えば大人が二人で台所に立っているとき、水道の取り合いになることがあります。一人が洗い物をしていてもう一方がちょっと手を軽く洗いたいとき、「ちょっと水道いい?」「あ、じゃあこれだけ洗わせて」とかありますよね。断る例で言えば、「ちょっとパソコン借りていい?」「ごめん、あと2分でネット通販の限定セールが始まるから終わったらにしてほしい」くらいのやりとりがありませんか。
 
確かにオモチャには大人の例に挙げたような明確で合理的な理由はないかもしれません。でも、所有者である兄が「嫌だ」と主張している以上、親は無理くり意思を変えさせるようなことはすべきではないでしょう。「問答無用で貸せ」なんて、独裁者のすることです。
 
 (5) 親が「なんで仲良く遊べないの」と兄を怒る
兄の立場にたってみたらわかります。自分のオモチャを妹に無断で横取りされた上、理解者は誰もいない。理不尽な思いをするのに仲良く遊べるわけありませんね。親が「なんで仲良く遊べないの」と聞くなら、「なんで公平に状況を判断できないの」と子どもは聞きたくなるでしょう。
 
 (6) 兄が妹を張り倒す
(2)と同じく、暴力はよくないですね。ただ情状酌量の余地はありそうです。親は「急にオモチャを取られて悔しかった気持ちはわかるけど、倒されたら痛いよね。それだけは一緒に妹に謝ろうか。」と提案してみたらどうでしょう。少しは兄も受け入れやすいのではないでしょうか。
 
 (7) 親が妹を擁護する
兄のオモチャを横取りした妹を擁護するのはいかがなものでしょうか。動画のなかでは兄のオモチャを奪った妹は褒められていました。動画用のネタだとしても、本気になっている子どもには、かわいそうすぎませんか。妹を擁護して褒めている場合ではありませんね。親は「お兄ちゃんに貸してって聞いてみようね」「それはお兄ちゃんのだから返そうか」と中立の立場を示すべきだと私は思います。兄が理不尽な思いをするだけでなく、妹の教育にもならないからです。人のものをいたずらして褒められたなんて、とても良い経験とは思えません。妹ちゃんが将来このビデオを見たら一体どんな風に思うでしょうか。
 
 (8) 最初に戻るを繰り返し、兄は次第にヒステリックになっていく
自分の主張が誰にも理解されない。理不尽な思いをしているのに公正な裁きを受けられない。これはヒステリーを起こしたくもなりますよね。虐待とまでは言いませんけど、とても見られたものではないと思ってしまいました。
 
全体を書き終えての考察
・家庭ってコワイ
外からは見えないけど、こんな理不尽なやりとりが毎日行われているわけです。まだ幼児だから、親もコントロール可能かもしれませんが、親は両者それぞれの立場にたって中立に客観的に見ることをしなければ、子どもが成長してからが心配ですね。家庭って閉鎖的な場所だから、何が起こっているかわからない。子どもに歪んだ教育を与えているかもしれないこわさ。
 
 ・親は、誰からも注意されることがない
 この例は動画サイトのものでしたから、コメント欄で親の間違いを指摘する声もありました。一方で、親を擁護するコメントもありました。どちらにせよ大事なのは、親が省みる姿勢を持っていることだと思っています。残念ながらこの動画を挙げた親御さんは、擁護コメントだけを受け入れていましたので、改善は見られなそうです。逆に、「私は大丈夫かしら?」と振り返ってみようと思えた人は、子どもと一緒に成長できる人だと確信しています。
 
・子どもも親と同じ一人の人
子どもだって大人と同じ人間なのに、なぜか大人は子どもの主張や感情は軽視しがちで、親は子どもに理想を押し付けてしまったりしますよね。その方が楽だから、というのもわからないではないですが、こういう小さな鬱憤の積み重ねが、親への不信感に繋がりかねません。せっかく親が一部始終を見ていたんだから、子どもの立場にたって考える癖をぜひつけたいものです。ホームビデオを撮るくらい愛情のある親だからこそ、もう1歩だけ子どもに歩み寄った対応をしていけると良いなと思います。
 

産後すぐに無理をしたら体にトラブルが起きやすくなる〜退院後体験談のうそとほんと〜

妊娠出産について調べるようになり、ネット上でさまざまな体験談を読んでいます。そんななか、産後の回復、退院後の過ごし方について気になったことがあったので、書いてみたいと思いました。
 
 
・ネットの体験談を鵜呑みにしちゃダメ
「産後、退院した足で上の子たちを保育園に迎えに行きました」
「退院後すぐに普段通りの生活でした」
「入院中も院内を歩いてたんだから安静にする必要ない」
など、まるで「産後安静にするのは甘え」と言わんばかりの書き込みを見かけることもあります。
 
しかしながら、医師監修のこちらの記事には、
「産後は骨盤底の筋肉がダメージを受けており、このときに無理をすると子宮や骨盤底の回復が遅くなり、更年期に差し掛かる頃になってから骨盤底全体がゆるんで尿漏れしやすくなったり、子宮が下がって膣から出てきり(骨盤臓器脱)などのトラブルが起こりやすくなる 」
と書かれています。
 
 
さらに、「産後 無理 影響」で検索すると
無理をしたために後悔をした方たちもたくさんいらっしゃることがわかります。
おそらく、「無理しても大丈夫だった」と言っている人のなかには、「今のところ大丈夫(だけどあとで問題が起こる可能性が高い人)」と「本当に大丈夫だった人」がいるはずです。ケースバイケースなので一概には言えませんが、少なくとも、きちんと休まないとのちに問題が起こるリスクが高まるのでしょうね。
 
 
・「産後無理をすると子宮脱になりやすい」は本当らしい
上に紹介した記事の典型的パターンとして、私の母は産後の無理が祟って、更年期に子宮が下がり、子宮脱になりました。病院で医師に診てもらった際、産後に無理しなかったかどうか確認され、気づいたようです。母は、きちんと休まなかったことを深く後悔したそうです。
 
 
・下の子を出産したあとは無理しがち
母は第3子を出産後、祖母(母の実母)にお世話になったので、2週間は安静にできていました。しかし、産後3週目から私と上の妹が新学期に入り通園通学のため、つい無理をしてしまったそうです。(普段通りに家事炊事全般こなしてしまったらしいです。)父は仕事で帰りが遅く、戦力になりませんでした。当時は少し疲れやすい程度だったそうですが、更年期になって体に障害が出てから、「あのときせめてあと1週間でも休めていれば」「産後は絶対に寝てなきゃダメ(赤ちゃんの世話以外)」と、当時のことを悔やみながら、無理しないようにと口酸っぱく言っています。
 
 
・医師や看護師、助産師さんのアドバイスをよく聞くこと
ネットの記事ばかりを信じてはダメです。この記事だって疑ってもらって良いくらいです(もちろん誠実に書いてますけどね。)普通分娩か帝王切開か、安産か難産か、その人の体力や傷の状態など、出産の数だけ違います。その状態を知っている専門家は、あなた自身のお医者様や看護師さん、助産師さんだけです。母でも義母でも、近所のおばちゃんでも、ネットの知らない人でもありません。人によって回復にかかる時間や体調の変化が違うことを理解し、きちんと専門家の言うことを聞きましょう。
 
 
・ベビーシッターや家事代行、ファミリーサポートを利用しよう
近くに頼れる人がいない方やご主人が仕事で遅いなど、さまざま事情で一人で乗り切る方もいらっしゃると思います。それでもなるべく横になる時間を増やすために、家事代行サービスなどを依頼しましょう。
また、他人が家にいると落ち着かないという場合は、お弁当の配達や通販などを利用して、炊事の時間や回数を減らしましょう。
 
 
・よく休んで早く回復するのが一番お得
産後一人で乗り切ろうとすると、普段より出費が増えるかもしれません。でも、ズルズル体調不良を引きずって何ヶ月も過ぎてしまうよりも(人によっては数年かかる場合もあるようですから)、短期間しっかり家事をサボって回復した方が、全体で見たらメリットが大きいはずです。
 
産後は無理せず、赤ちゃんのお世話以外の時間は、目をつぶって横になりましょう。
 
自分も忘れないように気をつけよう。

努力しろとか成長しろとか〜呼吸を止めなきゃそれで良い〜

 

 

「君は成長したいと思わないの?」

 

昔、しゅじんが、転職する前の会社で上の人からこう言われたそうです。

 

どういう話の流れで発せられた言葉なのかによって多少意味が変わってきそうですが

 

その話を聞いたとき、私は「?」と思ったんです。

 

思わず「その人のいう 成長 って何を指してるの?」

 

と聞いてしまいました。

 

例えば、「仕事で◯◯ができるようになりたい」

 

といった目標を持って仕事しようという意味での成長なのか

 

「やる気を持って仕事すること」みたいな意味なのか。

 

いくつか考えられますけど、一体その人はしゅじんに何を聞きたかったんでしょうか。

 

ダラダラやる気のない態度をとっていたなら叱責されたんでしょうけど

 

どうもそういうわけではなさそうです。

 

(というかそんなしゅじん、むしろ私が見てみたいくらい笑)

 

 

 

成長とか努力って、わざわざしようと思ってすることじゃないと私は思うんです。

 

それとなくでも、目標があって達成しようと試行錯誤していたら、

 

そういえば努力していたし、前と比べたらこういうことができるようになったなあ

 

としみじみ成長を感じるようなものじゃないでしょうか。

 

 

 

毎日、真夜中をすぎて血みどろになって帰宅する人が、

 

成長していないなんてことはないでしょう。

 

なんとも抽象的で、発言の意図がわからないと思ってしまいました。

 

もしかしたら、それをしゅじんに質問した方自身が悩んでおられたのかもしれません。

 

 

 

成長度合いやペースは周りが決めることではありません。

 

いい例として、学生時代の私の活躍は、そこそこに見られるものだったと思います。

 

成績も良いし、部活でも中心的な役割を担っていたし、

 

学級委員だのなんとか委員長だのやったし、

 

インターンシップにも参加し、ボランティア活動をして、賞をいただき、

 

それはそれは輝かしいと見てくれる人もいたでしょう。自分で言いますけど笑

 

では逆に、うつ病になってしゅじんと同棲して、

 

無職のただの居候になってからの何年間、

 

果たして全然成長していないってことがあるでしょうか。

 

私はそうは思わないんですよね。

 

むしろ、無理をして優等生演じていたときの数年よりも

 

何もしなかったこの数年の方が成長しているかもしれません。

 

少なくとも、もっと自分に素直に感じたままに生きることにおいては

 

かなり成長したはずです。笑

 

 

 

もちろん、こんな見えない成長を誰かに認めて欲しいとは全く思いません。

 

自分がわかっていれば十分なので。

 

それと同時に、まわりは目に見えてその人に大きな変化がないと、

 

成長したって認識しにくいものなんだろうな、と思います。

 

 

 

自分にもまわりにも、見えない成長ってあると思います。

 

あとになって振り返ってみたときに見えるものだから

 

そのときはわからないはずです。

 

だけど、毎日寝て過ごしたうつ病ニートだって、

 

今になれば成長した気がしてるんですから、

 

一日ゴロゴロしながら鼻ほじってゲームしてた人だって

 

何かしら成長してるんですよ、きっと。

 

ただペースはゆっくりかもしれないですけどね。

 

究極のところ、呼吸さえ止めなければ、誰でも成長してるんだと

 

私は思っています。

 

逆カルチャーショック?〜米国で1年過ごし日本に帰国して驚いたこと〜

逆カルチャーショックというのかはわかりませんが、アメリカに1年留学して日本に帰ってきたとき、個人的に衝撃的だったことをまとめました。
 
・東京の夏はビニールハウスの中
飛行機から降りて数分間、「なんでここビニールハウスの中みたいにモヤモヤするんだろう?」と建物の構造や施設について真剣に考えてしまいました(笑)しばらくしてピンときた。こんなに蒸し暑かったっけ!
 
・トイレが清潔!
外のトイレがどこも清潔で超快適でした。アメリカでは「え、全部の個室、水流れてないんですけど・・」とか「どうやって用足したらこうなるんだ?」と思うような悲惨な光景に慣れつつあったので、光り輝く日本のトイレに感動しました。
 
・コンビニが美しい!
明るくて清潔で整頓されているコンビニ。帰国後初めて入ったファミリーマートで、うわっ!と眩しさに圧倒されました。全然薄暗くない、清掃されている、美しく陳列された商品。高級ブティックと見紛うほどのきれいさに、思わずニヤついてしまいました。
 
・電車から大量に人が出てきた!
アメリカでは地下鉄の発達しているニューヨークでさえこんなに人が出てくるところを見なかったので、改めて人の多さに驚きました。
 
・女子っぽい男子が多い!
これは流行りもあったのでしょうか。髪が長くて女性っぽいのがオシャレな、女性っぽい服装やピアスをつけた男性がとても多いことに気づきました。日本の外に出なければきっと気づかなかったと思います! ちなみにこの話は、大学の教授たちの間でもウケていました。やっぱりみなさん日本に帰国されると同じように感じるそうです。もちろん、日本とアメリカどっちが良い悪いの話ではないですよ! 善悪ではなく、単純に違いです! 米国以外の国では男女のファッションはどうなっているんでしょうか。興味があります。
 
・道路狭い〜でも超きれい!
片側2車線、3車線あることに慣れてから帰ると、片側1車線は狭く感じますね。しかも、その1つの車線自体も幅が狭いので、ちょっとビビります。歩道も狭いし、ないところも多いですもんね。一方で、これは本当に世界に誇れると個人的に思ったんですが、デコボコの道路がほとんどなくて、細い道でもしっかり舗装されていて平らできれい。国土の小さい国だから道路の幅は仕方ないけど、この道路の質の高さはすばらしいと思っています。
 
・痩せている人が多い!
日本のポッチャリはアメリカのスキニーなんて例える人がいるくらい、なかなかふくよかな人を見かけることはありません。私も日本では痩せてるなんて言われたことなかったのに(高校時代はクラス1のおデブだった)、アメリカではどうやってそのスキニー体型を維持できるのかと真剣に聞かれました。「生まれつき」なんて答えたら嫌味っぽい?(もう言われる機会もないな。遠い目)
 
このほかにも、電車でどこにでもいける便利さ、店員さんが超親切、朝から夜までお店があいてる、食べ物がおいしい、水がきれい、などなど、やっぱり日本いいなと思うことがたくさんありました。もちろん逆もありますが。外に出てみると視野が広がって、自分の国のことを客観的に見られるようになると言いますが、実際本当にその通りでした。機会があれば、次は別の地域にも行って、もっと長く滞在してみたいなあ。

 

 

 

プレミアムフライデーいらないから定時で帰して!〜子どもは無理かなと思った話〜

転職しても変わらない残業

最近主人が転職しました。今の会社に入社する前、会社からは「うちは残業するならその分勉強時間にあててほしいと思っているので、あえて残業代を低く設定しています。」と説明があり、てっきり残業時間は少なめなのかと甘く考えていました。

 

ところが入社早々から残業、残業、残業。朝早く出勤して、仕事が終わるのは日付が変わってから、終電で帰宅する毎日。月ー金のはずなのに、土曜出勤が当たり前。

 

前職も同じ職種で、残業、残業の毎日。やっぱり日付が変わらないと帰ってきませんでした。今度の会社では、少しは早く帰れるかもと期待していたのに、就労時間は変わらず。主人自身は、業務内容は前よりもマシになったと言いますが、拘束時間は改善されませんでした。

 

どちらの会社も残業代を払ってくれる点ではブラックではないかもしれないけど、数時間だけ寝てまた仕事に行く人間をそばで見ていると、ダークグレーに思えてならないのです。

 

仮に今後転職をし続けたとしても、出るかわからないサイコロの目を振り続けるようなもので、ホワイト企業にたどり着けるかはわかりません。

 

家族が成り立たない

主人がそんな働き方をしているなか、お気楽な専業ニートの私は、わずかばかりの家事をこなし、主人から頼まれた雑用を終わらせ、「もしも子どもがいたら」の妄想をしながら過ごします。

※私が自分のことを専業ニートと書くのは事情あってのことです。世の中の専業主婦、専業主夫の方に悪意があるわけではありませんので誤解なきようにお願いします。

 

しかし、夕食の準備が終わり、夜8時、9時、10時と時間が過ぎるにしたがって、主人の体調を心配する気持ちが募り、不安になり、「やっぱこれじゃ子どもは無理かあ」と落ち込みます。(ワンオペ育児をされている方の気持ちを想像すると胸が痛みます。)

 

実際、今の私の任務は「日付が変わって帰ってきた人を1分でも早く就寝させること」になってしまっていて、主人の話を聞く時間もろくにないし、私が話す時間もない。流れ作業的に、「メシ!風呂!寝る!」になるのが現実です。主人に不満はありません。ただただ不憫に思えてならないのです。

 

夫婦二人でさえコミュニケーションがとれず、ただの同居人化してしまっているのに、子どもがいたらどうでしょうか。一緒にご飯を食べることもお風呂にも入ることもない、「たまに顔を見るオジサン」がいるだけ。

 

もし主人が根っからの仕事人間なら、家族としてその生き方を尊重し、応援します。でも、うちの主人は家庭第一主義の人間です。私のことを「飯炊き風呂焚きババア」にしたいと望んでもいないし、「たまに顔を見るだけのオッサン」になりたいとも決して思っていないのです。

 

私が寂しいと思うのは私の勝手ですが、きっと子どももさみしい思いをするでしょうね。何よりこれは主人が期待していた働き方、生き方でもないはずです。

 

一主婦の理想論と現実と

私の理想論では、定時とまでは言わないにせよ、せめて夕飯時間には帰ってきてほしいです。頭では理解していますよ。夜7時8時には帰れないサラリーマンが大半だということは。

 

いつだったか、女の芸人さんがテレビで「旦那を早く帰してほしい」と訴えたという記事を読みました。

 

その批判内容として、「テレビを通じて訴えたら、夫の立場を悪くする」といったものが挙がったようで、これは否定できないなと思いました。テレビを通じて有名な方が発言することを考えると、もう少し配慮が必要だったかもしれません。

 

しかし、あくまで一人の主婦として考えると、というよりは一人の人間としては、「早く帰して」という主張は、本当にこれ以上でも以下でもない気がします。

 

子どもがいるかいないか、単身かそうでないかにかかわらず、もうちょっとマシな働き方ができる社会になってはくれないかと夢見てしまいます。病気の家族がいたり、介護をしていたり、いろんな事情の人がいて、最悪会社を辞めないと介護できない、子育てに参加できない。誰も幸せになれないのではと思ってしまいます。

 

主人の転職活動中、女性が多い会社も候補の1つにありました。そのとき「女性が多い職場だと、男の主人に仕事を押し付けられないか心配」なんて思ってしまったのも事実です。だけど、そんな考えが出てくる時点で、社会のあり方を疑わなければいけないのでしょうね。

 

子どもができたら転勤させられる人、会社内で妊娠の順番待ちをする人、正社員なら長時間残業が当たり前という環境にいる人、子どもがほしいけど職場に遠慮して悩んでいる人、しわ寄せに悩んでいる人、などなど。こんな人たちが子どもがほしくてかつ子育てに関わりたいと思ったら、極端な話、仕事を辞めるかパートしかなくなってしまうのでは。

 

人手不足の日本では厳しいのでしょうか。諸外国を参考に改善できる部分はないのでしょうか。

 

プレミアムフライデーいらないから定時で帰して

月末の金曜日だけ早く退社できても、働き方改革としては何の解決にもならないと思ってしまうのは私だけでしょうか。だって、その分他の日にまた残業で仕事調整しないといけないんでしょう? 「毎日定時で帰して」というのは理想論が過ぎて無理かもしれないけど、せめて長時間残業が改善されれば、夫婦正社員共働きでも子どもをもうけたいと思う世帯は増えるだろうし、その方が結果的には経済も潤って税収も増えるのでは?(短絡的すぎ?)

 

たとえば、私の友人(正社員総合職)の会社では、最近定時退社を強く推奨するようになったそうです。友人いわく「早く退社できるようになったら体力余っちゃって、会社帰りに習い事始めたんだ」と。詳細はわかりませんが、定時にあがれる分どこかにしわ寄せがくる形ではないようで、理想的な働き方だと思いました。

 

とにもかくにも、社会全体がもう少しこんなふうに健康的な方向に変わってくれたらいいなと思います。一人の人間が二人分働いて成り立っている社会は、少なくとも健康な先進国の姿ではないのでは。

 

会社の都合を度外視して本音だけ言えば、理想は、「なんでもいいから主人を早く帰してほしい、子どももほしい、夫婦で協力して子育てしたい」です。子どものことはともかく、主人の健康が私にとって結局一番大事だから、やっぱり早く帰して!

子どもに家の手伝い、家事はさせた方が良いの?〜基本的にやらせないけどメリットも〜

子どもが自主的に「やってみたい」と言った、興味を持って行動した、という場合を除いて、親の方から家事を手伝うことを促すのは、私はナシだと思っています。こういうことをいうと、「子どもを甘やかしている」とか「子どもが家のことをできない人間に育つのでは」と批判する方もいるかもしれません。しかし、親が家事を積極的にやらせないと、家事ができない大人になるでしょうか。逆に、親にやらされていると家事が嫌いになる可能性が高まるような気がします。親子と家事の向き合い方やコミュニケーション、子どもが家事をするメリットについて書いてみました。
 
子どもの興味や自主性を尊重したい
子どもの自主性に任せてのびのびと成長させた場合、その子は大人になってから、自分でやるべきこととやりたいことを考えて計画的に行動できるようになると思います。そうなれば、一人暮らしをして家事をしないといけなくなったとき、自分で試行錯誤しながらやり方を確立していくはずです。家事をやらせない親のことを「子どもを甘やかしているダメ親だ」という親は、「自分が子どもに家事をやらせて甘えている」という側面にも気づくべきでしょう。
 
 
責任感のある大人になればいずれ自らしようとする
私の周りは、「実家を出るまで家事なんて大してやったことなかった」という健康家庭育ちの人がけっこういます。じゃあ、みんな家事ができないかってそんなわけありませんよね。うちの主人もそうです。主人のお母様は「家事は私の仕事」といって、ほとんどやらせたことがなかったそうです。でも、主人自身、「必要なことは自分でやる」と自立できていますから、生まれて30年洗濯機を触ったことがなくても、必要に迫られればできます。私が専業主婦なのにもかかわらずです(私はもうひたすら感謝)。それは主人のなかで「家は夫婦二人で維持する」という考えがあってのことです。誰にそう言われたわけでもありませんが、自主的にそのように捉えてくれています。
 
 
親はなるべく楽しそうに
また、家事をすすんでやる人間に育てたかったら、親が楽しそうにやる姿を見せておくことしかできないと思います。良くない例として、私の場合は、父が私に家事を強制し、母は嫌々家事をやっていました。特に料理は嫌いだと毎日毎回文句を言っており、そのせいで家のことをするのがとにかく苦痛です。台所に立つたびに無意識にイライラしてきて疲れたり、ただ布団をたたむだけなのに精神的にとても疲労します。こうなるとただの面倒くさいでは済まなくなるので、非常に厄介です。これはだいぶマズイ場合ですが、こういった事態を避けるためにも、やらせないようにして良いと思います。
 
 
子どもがやりたがったらお手本を見せる
ただし、子どもが自分から興味を持った場合は別です。なんでも親のやっていることを真似したがるときがあると思います。そのときは、一緒に家事を楽しんで、「ありがとう」「がんばったね」と声をかけてあげるといいでしょう。また、簡単な家事をとおして「手先が器用になる」というメリットもありますので、子どもがやりたがった場合は、言葉でやり方を教えるよりも「よくお手本を見せる」ことを意識して、子どもの学びを助けられたら良いなと思っています。もちろん子どもが飽きたら、それはそれでやりたいようにさせておいたら良いのです。
 
 
親と一緒にやるのが楽しい場合も
私の知り合いに、まだ高校生なのに、とても料理を手際よく楽しそうにこなす子がいます。話を聞いてみると、彼女は好きでお母さんの隣で一緒に台所に立つそうです。彼女のお母様のことも知っていますが、子どもの自主性を尊重しているのが何気ない言葉や行動からよく見て取れます。何よりお母様自身がとてもエネルギッシュな方で、仕事に家事に趣味に、何にでもとても一生懸命、全力投球といった感じなので、親がそんなふうに楽しそうにしているから、子どもも好きなことを楽しく取り組むのだなと思いました。そして、料理が親子のコミュニケーションの時間になっていて、お互いが尊敬し合っている理想の距離感をみて、とても羨ましく思えました。
 
 
いろいろ考え方があると思いますが、今のところうちの家庭では基本的にこんな感じにしたいねと話がまとまっています。

「子育てに不正解はない」は本当か〜間違いはだいたい決まっている〜

 
このような記事を読みました。
 
 
さて、こちらの記事では「子育てにまちがいなんてない!」と断言しており、さらに親が子どもを思って選択したことに間違いはないのではと述べていますが、果たして本当でしょうか?
 
 
結論からいうと、私はこの記事の一部には、あまり積極的には賛成できません。私は「子育てに不正解はあっても正解はない」と思っています。なぜなら、どの育児本を読んでもわかる通り、共通して出てくる間違いというのはほぼ決まっているからです。試しに書店で2、3冊めくってみると分かりますが、正解はそれぞれでも、不正解はほぼ一致しているのです。だから、不正解は避けなければなりません。
 
 
例えば、「宿題しなさいと命令しない」とか、「親の自分勝手なルールを子どもに押し付けない」とか、その他ありがちな間違いというのは、すでに答えがほぼ出揃っています。この例で言えば、そういったことをすると、子どもの自主性ややる気を失わせ、子どもを混乱させるという理由から不正解に分類されているのです。だから、子育ての「やってはいけないこと」は、親がいくら子どもを思いやってのことだったとしても、いつも不正解のままのはずなのです。もし記事の通り、親が子どもを思って選択したことに間違いがないとすれば、「宿題やりなさいと命令する」という行為も、親が子どもを思っての行動ならば、正解になってしまいます。それではいけません。不正解は不正解と認め、親は改めなければなりません
 
 
では、正解の方はどうでしょう? 私は子育ての正解は複数存在すると思います。なぜなら、親子の組み合わせは複数存在するからです。親の考え方、子どもの考え方がそれぞれある以上、「これこそが正解」というものは見つからないでしょう。あくまで、「この親とこの子の場合はこれが正解でした」という事例でしかないと思っています。
 
 
育児本を読んでわかるのが「この親とこの子どもにはこういうやり方が合っていた」であるならば、「私とこの子にはどんなやり方が合っているか」「私の家庭では、この人のこの方法を応用できるかもしれない」といったふうに、その親子の組み合わせでの正解を模索していくしかないのではと思います。
 
 
こう思う理由も、どの育児本を読んでも、著者の思いが共通しているからです。「うちはこうやりました」「私の家はあんなやり方でした」と成功例や良い事例がたくさん載っているわけですが、どの著者も最初からずっと正解を出し続けていたわけではないと思います。よく子どもを観察して「子どものために何が最適か」を常に考え行動し、反省し、改善を重ねているはずです。だから自分が親になったとき、「悩みながらも少しずつ私たちのケースでの正解を出していく姿勢を持つ」ことを、どの育児本からも学ぶ必要があるのかなと考えています。
 
 
また、この記事では「自分軸で選択せよ」とありますが、少し語弊があるように感じました。確かに最終選択は親がすることに変わりないのかもしれませんが、子育ての方法を見すぎるあまり、実際その場にいる子どもをよく観察することを疎かにしてしまっているような印象を受けてしまいました。親がどうしたいかも大事ですが、子どもがどうしたいかを汲むのも大切だと思います。その上で判断したいなと思いました。
 
 
今回参考として挙げた記事は、かなり悩みすぎてしまっている子ども思いの親御さん向けなので、「大丈夫ですよ」と伝えたくて「まちがいなんてない」と表現したのかなと思います。しかし、なかには自分の都合の良い部分だけを切り取って、堂々と間違った道を進んで行かれる猛者もいますから、自分が変な方向に進まないためにもあえて書いてみました。(そんな猛者は何を読んでもどんどん不正解を重ねていきますけどね、笑)
 
 
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