努力しろとか成長しろとか〜呼吸を止めなきゃそれで良い〜

 

 

「君は成長したいと思わないの?」

 

昔、しゅじんが、転職する前の会社で上の人からこう言われたそうです。

 

どういう話の流れで発せられた言葉なのかによって多少意味が変わってきそうですが

 

その話を聞いたとき、私は「?」と思ったんです。

 

思わず「その人のいう 成長 って何を指してるの?」

 

と聞いてしまいました。

 

例えば、「仕事で◯◯ができるようになりたい」

 

といった目標を持って仕事しようという意味での成長なのか

 

「やる気を持って仕事すること」みたいな意味なのか。

 

いくつか考えられますけど、一体その人はしゅじんに何を聞きたかったんでしょうか。

 

ダラダラやる気のない態度をとっていたなら叱責されたんでしょうけど

 

どうもそういうわけではなさそうです。

 

(というかそんなしゅじん、むしろ私が見てみたいくらい笑)

 

 

 

成長とか努力って、わざわざしようと思ってすることじゃないと私は思うんです。

 

それとなくでも、目標があって達成しようと試行錯誤していたら、

 

そういえば努力していたし、前と比べたらこういうことができるようになったなあ

 

としみじみ成長を感じるようなものじゃないでしょうか。

 

 

 

毎日、真夜中をすぎて血みどろになって帰宅する人が、

 

成長していないなんてことはないでしょう。

 

なんとも抽象的で、発言の意図がわからないと思ってしまいました。

 

もしかしたら、それをしゅじんに質問した方自身が悩んでおられたのかもしれません。

 

 

 

成長度合いやペースは周りが決めることではありません。

 

いい例として、学生時代の私の活躍は、そこそこに見られるものだったと思います。

 

成績も良いし、部活でも中心的な役割を担っていたし、

 

学級委員だのなんとか委員長だのやったし、

 

インターンシップにも参加し、ボランティア活動をして、賞をいただき、

 

それはそれは輝かしいと見てくれる人もいたでしょう。自分で言いますけど笑

 

では逆に、うつ病になってしゅじんと同棲して、

 

無職のただの居候になってからの何年間、

 

果たして全然成長していないってことがあるでしょうか。

 

私はそうは思わないんですよね。

 

むしろ、無理をして優等生演じていたときの数年よりも

 

何もしなかったこの数年の方が成長しているかもしれません。

 

少なくとも、もっと自分に素直に感じたままに生きることにおいては

 

かなり成長したはずです。笑

 

 

 

もちろん、こんな見えない成長を誰かに認めて欲しいとは全く思いません。

 

自分がわかっていれば十分なので。

 

それと同時に、まわりは目に見えてその人に大きな変化がないと、

 

成長したって認識しにくいものなんだろうな、と思います。

 

 

 

自分にもまわりにも、見えない成長ってあると思います。

 

あとになって振り返ってみたときに見えるものだから

 

そのときはわからないはずです。

 

だけど、毎日寝て過ごしたうつ病ニートだって、

 

今になれば成長した気がしてるんですから、

 

一日ゴロゴロしながら鼻ほじってゲームしてた人だって

 

何かしら成長してるんですよ、きっと。

 

ただペースはゆっくりかもしれないですけどね。

 

究極のところ、呼吸さえ止めなければ、誰でも成長してるんだと

 

私は思っています。