毒親に育てられた人が親になるときの心構え

毒親持ちの私が親になるときは、なんとか踏ん張って不幸の連鎖を断ち切りたいと思っています。余裕がなくなると、つい自分の親と同じ言動をとってしまうのではという不安がついてまわります。そんなときに思い出せるように、自分なりの心構えをメモしておきたいと思いました。
 
親は家庭の神様ではない
子どもは一人では生きていけない非力な存在であることは確かですが、子どもが非力だから、親が絶対の権力となって良いという意味ではありません。親が「生んであげた」「一人じゃ生きられないから」といって、「逆らうな」というのはおかしな話です。そもそも、子どもは親を、家庭を選べないのだから、「生んであげた」なんて非常におこがましいですね。そんなことを言う親には「親のわがままで、ここに住まわされている」なんて子どもが言う日がきても、何も言い返せません。
 
親しいなかにも礼儀あり
乳児の頃はただ可愛いだけだったのに、イヤイヤ期や反抗期がくると、子どもだからといって、接し方や態度、言葉がきつくなるときがあると思います。そんなときこそ「親のわがままで、我が家にお迎えしている」というくらい謙虚な気持ちを持って、対応したいものです。間違っても支配的になってはいけません。
 
家庭は小さな社会
「親子だから」と思うと、まるで距離が近くて特別な関係で、「親は子どもの所有物だから何をしても良い」と勘違いする人がいるかもしれません。でも、一般社会でそれをやったら白い目で見られるか、場合によっては刑務所行きでしょう。たとえば、「一人のおじさん(父)と一人のおばさん(母)と、小学生の男女(兄妹)」みたいに、家庭には年齢や性別の違う人間が、ランダムに集められたと思いましょう。そう考えると、血が繋がっていてもそうでなくても、一緒に暮らす同居人に失礼な態度をとらないでおこうと思えるはずです。また、小さな社会で成功体験を積んでいる人は、外の社会でもたくましく行きていけるだろうと思います。
 
子どもも立派な一人の人間
おそらく毒親は、親子という関係に甘えて、距離が近くなりすぎてしまうんだと思います。年齢や性別に関係なく、お互いが精神的に独立した一人の人間であることを認め、尊重し合うのが理想です。支配的な言動をとってしまったと気づいたら、同じ人間として謝罪しましょう。
 
「授かりもの」だけど「預かりもの」
子どもは授かりものと言われますが、親は子どもを自分のものだと勘違いして、過干渉になったり支配的になってしまうと困ります。一緒に住んでいられるのもだいたい20年くらいです。子どもが社会に出るまで責任を持って「預かり」、社会に「お返しする」という気持ちで子育てに臨みたいものです。一緒にいる約20年の間にたくさん良い思い出を作って、「安心して暮らせて楽しい家だったな」と思ってもらえたら万々歳です。
 
 
 
また思いついたら追記していきます。