原因論を目的論に〜『嫌われる勇気』を読んでうつ病を楽に受け入れる方法〜

うつ病になったせいで、周囲の人と同じような経歴を辿れなかった。自分は他の人より条件が悪いせいで、人生がうまくいかない。そんなふうに悲観的に捉えていました。でも、原因論で考えるだけでなく、目的論にそって考え直してみると、案外すんなりありのままの自分を受け入れられるようになりました。はじめは戸惑うかもしれませんが、原因論で悩んでいる方は、目的論を使ってちょっと発想を変えてみると楽になるかもしれません。以下、私の場合を具体例としています。

 
目的論の考え方
アドラー心理学では目的論の考え方をとるそうです。
原因論だと、うつ病のせいで活動ができない
目的論だと、うつ病のおかげで活動しなくて良い もしくは 活動したくないからうつ病になった
ということになる。
 
はじめて目的論で考えたときには
「違う! なりたくてうつ病になったんじゃない!」
と叫びたくなりました。
 
でもここ最近、症状が落ち着いてきてからは、
「ゆっくり休んでいろんな傷を治療できて良かった」
「この休みの時間は必要だったんだ」と思えるようになってきました。
 
こうやって受け入れられるようになってから、改めてアドラー心理学の目的論に当てはめてみると、すんなり納得がいきました。
 
私の場合は、就職活動が始まる前にうつ病になりました。もしうつ病になっていなかったら、確かにどこかには就職していたでしょう。でも、きっと体調不良で3日ともたなかったはず。数ヶ月仕事ができていたとしても、いつかどこかで破綻していたと想像します。そして両親からも執拗に叱責されていたでしょう。
 
でも、うつ病になったおかげで(もううつ病の症状にはコリゴリではありますが)、「休まなきゃいけない」ということがわかったし、毒親である両親との関係も見直すきっかけになりました。
 
だから、「うつ病のおかげで休みを得られた」「休みを必要としていたからうつ病になった」、といった表現がしっくりくるなと思いました。
 
うつ病再発の不安も和らげてくれる
そしてもし、原因論で考えると、「またうつ病になったら病気のせいで活動できなくなる」といって、再発に不安を感じやすくなります。しかし目的論で考えると、「もしまた活動できなくなったら、それはお休みしないといけないときなんだ」といえるので、受け入れやすくなります。
 
苦手を受け入れやすく
他にも、混んでる電車や人混みが極端に苦手だったり、大人数いるところでのコミュニケーションが好きではなかったり、いろんな苦手が存在します。このときも、原因論で考えると「これのせいで外出できない」とか「これさえなければ仕事ができるのに」とか言いたくなりますが、目的論で「仕事したくないから苦手を作り出している」と仮定してみます。
 
はじめはやっぱり、「サボりたがり」のような否定的な響きがしますが、そういうことではありません。「電車通勤や混雑する場所での勤務を望んでいない」という自分の希望がはっきりしてきます。じゃあ、自分は大多数の人よりも仕事の条件が多くなってしまうかもしれないけど、どういう仕事だったらできるか? と前向きに考え始めることができます。

 

強い人には通用しない?

ところで、主人とこの話をしたところ、「こう言っちゃあなんだけど、この2つの違いは重要なの?」と聞かれました。私にとっては重要な違いなんですが、主人いわく「俺のように図太い神経を持っていれば、不可能性についてどんな言い方をしても関係ないよ。」と笑っていました。

 うつ病のせいで活動できないにしても、活動したくないからうつ病になったにしても、「寝たほうが良いに変わりはないんだから堂々と寝てれば良い」ということでした。考え方の出発点はさておき、主人のほうが早く「じゃあどうすれば良いか」という解決策を導き出そうとしているみたいですね。しかも、「堂々と寝てれば良い」って(笑)すでに自分の考えや行動に自信のある方には必要のない思考法かもしれませんね。

私はつい言い訳がましく自分を正当化しようとしがちなので、素直になれる考え方の1つとして使っていくつもりです。

  

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

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