子どもに家の手伝い、家事はさせた方が良いの?〜基本的にやらせないけどメリットも〜

子どもが自主的に「やってみたい」と言った、興味を持って行動した、という場合を除いて、親の方から家事を手伝うことを促すのは、私はナシだと思っています。こういうことをいうと、「子どもを甘やかしている」とか「子どもが家のことをできない人間に育つのでは」と批判する方もいるかもしれません。しかし、親が家事を積極的にやらせないと、家事ができない大人になるでしょうか。逆に、親にやらされていると家事が嫌いになる可能性が高まるような気がします。親子と家事の向き合い方やコミュニケーション、子どもが家事をするメリットについて書いてみました。
 
子どもの興味や自主性を尊重したい
子どもの自主性に任せてのびのびと成長させた場合、その子は大人になってから、自分でやるべきこととやりたいことを考えて計画的に行動できるようになると思います。そうなれば、一人暮らしをして家事をしないといけなくなったとき、自分で試行錯誤しながらやり方を確立していくはずです。家事をやらせない親のことを「子どもを甘やかしているダメ親だ」という親は、「自分が子どもに家事をやらせて甘えている」という側面にも気づくべきでしょう。
 
 
責任感のある大人になればいずれ自らしようとする
私の周りは、「実家を出るまで家事なんて大してやったことなかった」という健康家庭育ちの人がけっこういます。じゃあ、みんな家事ができないかってそんなわけありませんよね。うちの主人もそうです。主人のお母様は「家事は私の仕事」といって、ほとんどやらせたことがなかったそうです。でも、主人自身、「必要なことは自分でやる」と自立できていますから、生まれて30年洗濯機を触ったことがなくても、必要に迫られればできます。私が専業主婦なのにもかかわらずです(私はもうひたすら感謝)。それは主人のなかで「家は夫婦二人で維持する」という考えがあってのことです。誰にそう言われたわけでもありませんが、自主的にそのように捉えてくれています。
 
 
親はなるべく楽しそうに
また、家事をすすんでやる人間に育てたかったら、親が楽しそうにやる姿を見せておくことしかできないと思います。良くない例として、私の場合は、父が私に家事を強制し、母は嫌々家事をやっていました。特に料理は嫌いだと毎日毎回文句を言っており、そのせいで家のことをするのがとにかく苦痛です。台所に立つたびに無意識にイライラしてきて疲れたり、ただ布団をたたむだけなのに精神的にとても疲労します。こうなるとただの面倒くさいでは済まなくなるので、非常に厄介です。これはだいぶマズイ場合ですが、こういった事態を避けるためにも、やらせないようにして良いと思います。
 
 
子どもがやりたがったらお手本を見せる
ただし、子どもが自分から興味を持った場合は別です。なんでも親のやっていることを真似したがるときがあると思います。そのときは、一緒に家事を楽しんで、「ありがとう」「がんばったね」と声をかけてあげるといいでしょう。また、簡単な家事をとおして「手先が器用になる」というメリットもありますので、子どもがやりたがった場合は、言葉でやり方を教えるよりも「よくお手本を見せる」ことを意識して、子どもの学びを助けられたら良いなと思っています。もちろん子どもが飽きたら、それはそれでやりたいようにさせておいたら良いのです。
 
 
親と一緒にやるのが楽しい場合も
私の知り合いに、まだ高校生なのに、とても料理を手際よく楽しそうにこなす子がいます。話を聞いてみると、彼女は好きでお母さんの隣で一緒に台所に立つそうです。彼女のお母様のことも知っていますが、子どもの自主性を尊重しているのが何気ない言葉や行動からよく見て取れます。何よりお母様自身がとてもエネルギッシュな方で、仕事に家事に趣味に、何にでもとても一生懸命、全力投球といった感じなので、親がそんなふうに楽しそうにしているから、子どもも好きなことを楽しく取り組むのだなと思いました。そして、料理が親子のコミュニケーションの時間になっていて、お互いが尊敬し合っている理想の距離感をみて、とても羨ましく思えました。
 
 
いろいろ考え方があると思いますが、今のところうちの家庭では基本的にこんな感じにしたいねと話がまとまっています。

「子育てに不正解はない」は本当か〜間違いはだいたい決まっている〜

 
このような記事を読みました。
 
 
さて、こちらの記事では「子育てにまちがいなんてない!」と断言しており、さらに親が子どもを思って選択したことに間違いはないのではと述べていますが、果たして本当でしょうか?
 
 
結論からいうと、私はこの記事の一部には、あまり積極的には賛成できません。私は「子育てに不正解はあっても正解はない」と思っています。なぜなら、どの育児本を読んでもわかる通り、共通して出てくる間違いというのはほぼ決まっているからです。試しに書店で2、3冊めくってみると分かりますが、正解はそれぞれでも、不正解はほぼ一致しているのです。だから、不正解は避けなければなりません。
 
 
例えば、「宿題しなさいと命令しない」とか、「親の自分勝手なルールを子どもに押し付けない」とか、その他ありがちな間違いというのは、すでに答えがほぼ出揃っています。この例で言えば、そういったことをすると、子どもの自主性ややる気を失わせ、子どもを混乱させるという理由から不正解に分類されているのです。だから、子育ての「やってはいけないこと」は、親がいくら子どもを思いやってのことだったとしても、いつも不正解のままのはずなのです。もし記事の通り、親が子どもを思って選択したことに間違いがないとすれば、「宿題やりなさいと命令する」という行為も、親が子どもを思っての行動ならば、正解になってしまいます。それではいけません。不正解は不正解と認め、親は改めなければなりません
 
 
では、正解の方はどうでしょう? 私は子育ての正解は複数存在すると思います。なぜなら、親子の組み合わせは複数存在するからです。親の考え方、子どもの考え方がそれぞれある以上、「これこそが正解」というものは見つからないでしょう。あくまで、「この親とこの子の場合はこれが正解でした」という事例でしかないと思っています。
 
 
育児本を読んでわかるのが「この親とこの子どもにはこういうやり方が合っていた」であるならば、「私とこの子にはどんなやり方が合っているか」「私の家庭では、この人のこの方法を応用できるかもしれない」といったふうに、その親子の組み合わせでの正解を模索していくしかないのではと思います。
 
 
こう思う理由も、どの育児本を読んでも、著者の思いが共通しているからです。「うちはこうやりました」「私の家はあんなやり方でした」と成功例や良い事例がたくさん載っているわけですが、どの著者も最初からずっと正解を出し続けていたわけではないと思います。よく子どもを観察して「子どものために何が最適か」を常に考え行動し、反省し、改善を重ねているはずです。だから自分が親になったとき、「悩みながらも少しずつ私たちのケースでの正解を出していく姿勢を持つ」ことを、どの育児本からも学ぶ必要があるのかなと考えています。
 
 
また、この記事では「自分軸で選択せよ」とありますが、少し語弊があるように感じました。確かに最終選択は親がすることに変わりないのかもしれませんが、子育ての方法を見すぎるあまり、実際その場にいる子どもをよく観察することを疎かにしてしまっているような印象を受けてしまいました。親がどうしたいかも大事ですが、子どもがどうしたいかを汲むのも大切だと思います。その上で判断したいなと思いました。
 
 
今回参考として挙げた記事は、かなり悩みすぎてしまっている子ども思いの親御さん向けなので、「大丈夫ですよ」と伝えたくて「まちがいなんてない」と表現したのかなと思います。しかし、なかには自分の都合の良い部分だけを切り取って、堂々と間違った道を進んで行かれる猛者もいますから、自分が変な方向に進まないためにもあえて書いてみました。(そんな猛者は何を読んでもどんどん不正解を重ねていきますけどね、笑)
 
 
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毒親の親も毒親〜毒家系の連鎖を止める方法〜

私の家系は毒続きで、少なくとも2代続く毒親家系です。なんとか私の代で、毒家系だったことを跡形なく消してしまいたいと思っています。そのために何ができるのか、具体的な方法を考えてみます。
 

 よろしければこちらも参考になさってください。

syujin-wife.hatenablog.com

 

 
うちの父は、父親(私から見て祖父)がいわゆるDVで、母親(私から見て祖母)にひどく暴力を振るったらしいです。祖母は私が生まれてからまもなく亡くなっているので、祖父母がどのような関係だったのか、私は直接は知り得ない。聞いた話によると、父が幼い頃からずっとのことだったようで、何度も病院送りになるほどひどかったそうです。そのため毒父の自慢は「俺の親父はおふくろに暴力を振るったが、俺は妻に暴力を振るったことは一度もない」でした。 祖父のDVを知らない私からすれば、「妻に暴力を振るわないのは当たり前で、自慢することじゃない」と思うし、「子どもに暴力振るっていたくせに、よく偉そうにできるな」と呆れるところです。それでも、毒の連鎖を多少弱めてくれたという点においては、少しは評価すべきでしょうか。
 
さて、問題は私の番です。私の父は暴力・暴言屋で、自分の機嫌が悪くなるとすぐ怒り、理不尽に子どもである私や妹たちを責めました。母はそれを止めず(私は妹たちと比べても特に守られなかった)、私に対して無関心な態度を取り続けました。かと思えば過干渉になったりと、とにかくバランスのとれない家庭でした。父に怯え、母に見捨てられた、そういう生活を20年以上していた私が、「どうやってこの毒家系の連鎖を断ち切り、穏やかで平和な家庭を築けるか」。その方法を私なりに模索していこうと思います。
 
今私が考えられるのは、大きく分けて次の3つのステップを踏むことです。
1:自分の傷を癒し、自信と精神力を取り戻す
2:新しい家庭のイメージを具体的にする
3:実践と改善
 
1:毒親と決別し、自信を取り戻す
まずは自分と向き合い傷を癒して、本来持っているはずのエネルギーを取り戻します
(進行中。詳細出来次第、公開予定です。)
 
2:新しい家庭像を具体的にイメージする
自分の気持ちを解放したら、次は新しい家庭の目標をイメージします。特に、親子関係についてどのように捉えるか決めます。同時に、目標となる家庭像、子育ての目標を具体的に落とし込みます。
 
(例)
親子関係とは、それぞれが独立した人間として尊重され、お互い成長し合うもの。
家庭の目標は、明るく、楽しく、自由に!
子育ての目標は、自由!
 
これだけだと抽象的でただの理想論みたいになってしまうので、掲げた目標をもっと具体的な行動目標にしていきます。
(思案中。詳細出来次第、公開予定です。)
 
具体的な行動目標に置き換えることのメリット
「自分は絶対に毒親みたいにならない」と決めていても「毒親みたいに」なってしまうリスクは変わらない可能性があります。それは、毒親みたいにならないと言っている時、イメージしているのが「悪い例え」だからです。では逆に、毒親みたいにならないために「良い例え」をイメージした場合はどうでしょうか。「悪い例えにならないように」と失敗例を考えるのではなく、「こんなふうに行動しよう」という具体的な成功例を行動目標にしたほうが、成功率が上がるでしょう。簡単に言うと、イメージトレーニングのようなものです。
 
3:実践しながら改善
子どもに試す前に、夫婦間で練習してみる
実際に目標とする子育ての成功例を具体的にできたら、夫婦間のコミュニケーション中にも子どもと接するつもりで練習してみると良いです。子ども相手でも大人相手でも、人間を相手にする点では同じなので、どちらにも応用できるはずです。はじめはわざとらしくて違和感があるかもしれませんが、少しずつ自然になってきます。
 
例えば、私の場合は主人の話を聞いている途中で、「それはこういうことでしょ」と善悪の判断を自分基準で下して終わらせてしまう癖があったので、傾聴の練習をしてみました。主人のほうを向いて、話を最後まで真剣に聞き、まずは「そうなんだね」「なるほどね」と言って受け止めます。そのあとで「今の話だと、主人はこう思うみたいだけど、私はこういうところが気になったかな」といったふうに、相手を否定せずに意見の違いを明確にします。私たちの場合、お互い話しながら自分の思っていることがはっきりしてくる場合がけっこうあります。肯定も否定もせずに話していくことで、お互いが気づかなかったポイントに気づいて最終的に着地点が一致したりすることがよくあります。これを(私がこっそり実践)するようになってから、主人は以前よりも楽しそうにたくさん話すようになりました。多分本人は気づいていないでしょうけど(笑)
 
子どもの場合も傾聴の基本的な方法は同じだと思います。ただ子どもは、まだ自分の考えをうまく言葉にできなくて、感情的に表現してしまうことがある点で異なります。そのときは、大人のほうが子どもの気持ちを汲んで寄り添い「そうなんだね。それは嫌だったね。」「そんなことがあったんだね。それじゃあ悔しかったよね。」といったん受け止めます。そのうえで、「お母さんだったらこう思うかもしれないな」「お母さんはこうだと思うけど、どうかな?」と子どもとの違いを挙げて、あとは子どもに考えさせます。子どもも親も、同じ意見になる必要は全くありません。どちらが正しいということはほとんどの場合ないはずだからです。大切なのは、子どもの気持ちをそのまま受け止めるよという肯定的な姿勢をきちんと見せることと、そのあと子どもが落ち着いて冷静に考える余裕を与えることだと思います。
 
 何かの本で、「子育てはビジネスと同じ」と書いている方がいました。子育てをビジネス同様、事業と捉えてPDCAサイクルをまわすようにすると、うまくいく部分があるかもしれません。
 
傾聴の方法はこの本から学びました。

 

馬鹿な毒親への不満をひたすら吐き出す(3)〜家庭の仕事、親の責任を子どもに押し付ける〜

毒親への不満吐き出し第3回。書き始めると止まらなくて困ります。1回目は習い事地獄、2回目は兄弟優劣比較とその報告会について書きました。今回は、家庭の責任を子どもに押し付けてくる毒親の話です。「人の不幸は蜜の味」と思う方も、「私も毒親持ちなのでわかります」という方も、私のただの愚痴ですがお付き合いください。
 
前回までの不満吐き出しはこちら
父「お母さんと妹たちのこと頼むぞ」と言って出勤
帰宅後、「お母さんのこと頼むぞって今朝言ったろ?」と責める
親の面倒見るのは小さい子どもの仕事じゃないんですけどね?
「今日はお母さん風邪っぽいみたいだから、何かあったら会社に電話して」程度ならわかりますよ。でもうちの父が言ってたのは、「家事をしろ」「妹の面倒を見ろ」「母の命令に逆らうな」とプレッシャーをかける意味で言ったのです。毎日。
私はこれを言われるのが本当に嫌で嫌でたまりませんでした。今思い返しても腹がたって仕方がありません。小さな子どもに頼まなきゃいけないほど「ダメな家庭」だったんでしょうね。なんで私だけが犠牲にならなきゃいけないんだ! それとも「妻を思いやる夫」アピールでもしたかったんでしょうか。全く迷惑です。
 
親の病気は子どものせい
母が風邪やインフルエンザ等で寝込むと、父から「お前たち(私と妹たち)がお母さんのいうことをきかないから、お母さんが病気になっちゃったんだぞ。」と病気を子どものせいにされました。さらに、「お母さんがいなくなっちゃったら、この家は誰が切り盛りするんだ?」と子どもの不安を煽ります。しまいには「だから日頃から親の言うことを聞いて、家事をやれって言ってるだろ?」でした。三人姉妹の長女だった私は、ことさらしつこく「家のことをやれ」「妹たちの世話をしろ」と言われてきていますから、母が病気になるたびに、「私が家のことをなんでもやらなくちゃ」とそれはもう恐ろしいほど不安になり、プレッシャーになりました。今考えても、家庭を守るのは両親二人の責任です。子どもの私に仕事をさせるなとまた怒りがこみ上げてきます。
 
三姉妹の長女は一家の責任者
母が腹痛を訴え、経過観察と検査のため1週間入院したことがありました。このとき父は単身赴任で不在。両親は家のことと妹たちのことを、文字通り私に押し付けました。毎日泣きながら寝る妹に寄り添い、暗い顔をして過ごす妹を笑顔で学校に送り出し、妹を連れて母のお見舞いに行き(冬に自転車で30分)、家事をこなし、なんとか1週間耐えました。このとき、妹と一緒になって泣けたら、誰かまともな大人に頼れたら、どんなに良かったかと思います。ただでさえ、もし母に何かあったらと思うと本当に心が押しつぶされそうなほど不安だったのに、急に一家の長にさせられたのです。
 
そして母の帰宅後、誰に労われることもなく、いつも通り「私ちゃんはこれがやってない、あれがやってない」が始まりました。体力的にも精神的にもかなり疲労していて、病院にお見舞いに行けない日がありましたが、そのことも「あんたは妹ちゃんを連れて見舞いにこなかった」「毎日こなかった」と責められました。父からは「お母さんまだ本調子じゃないから、お前頼むな」責任を押し付けられました。このときのなんとも言えない、自分が消えてしまうような、自分の存在を否定したくなるような、消えてしまいたいような、底なしの不安感と罪悪感と義務感と混ざったような苦い感情は忘れられません。母が戻ってきただけでホッとしたのも事実ですが、それと同じくらい嫌な気持ちになりました。(ちなみに妹は「寂しくなかった?よくお母さんがいなくて大丈夫だったね、偉かったね」と心のケアをされていました。)
 
 
私はこうやって20年以上、実家で無駄に消耗し続けていたんだなと思うと、こういった変なエネルギーを使わなくて済むようになった現在、これからは明るく元気に過ごせるようになるのではと将来に期待してしまいます。毒なんて本当いらないです。
 
 

 毒親から解放されたい方はこちらの記事もどうぞ。

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馬鹿な毒親への不満をひたすら吐き出す(2)〜兄弟優劣比較と不眠症の原因〜

前回は、毒親に無理やり習い事漬けにされ、継続させられた話を書きました。今回は、私がされた姉妹間で親に優劣をつけて比較される話や、私が寝る頃に両親が私の悪口を話し合う件です。「人の不幸は蜜の味」と思う方も、「私も毒親持ちなのでわかります」という方も、私のただの愚痴ですがお付き合いください。 特に最後の「悪事報告会」なんて本当ひどい話です。
 

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兄弟を比較して優劣をつける

「妹ちゃんはいつも外で元気に遊ぶのに、なんであんたは家に引きこもってばっかり。」
毎日毎日この調子でした。妹はできるのに、私はできない、手がかかると愚痴を言ってばかり。いま振り返ってみても、私は特別変わった子どもではありませんでした。もしいま、私が子どもの時の自分に会えるなら、親の代わりに抱きしめてあげたいです。
 
兄弟ゲンカはすべて私のせい
「あんたはなんで妹ちゃんをいじめるの?」(してない)
なんの理由もなしに妹をいじめたことなんてありません。そんな生まれつき悪魔みたいな子どもがいるわけないです(笑)だけど、父と母にとってはこれが真実に見えていたんでしょうね。よく物事を観察するよりも、手っ取り早く私を悪者にするのが楽だったからでしょう。逆に妹は、「自分に都合が悪いときは、姉のせいにして泣けば両親は味方してくれる」ことを覚えました。これは大人になってから妹本人に確認したので間違いありません。おかげで私は家庭内で常に劣等感を抱き、妹はいつでもボスになれることを覚えてしまいました。もちろん、妹の勝気でワガママな性格は、家庭外でも災いし、今もそのように育てられた悪影響が少なからず出ています。
 
これらを外で言いふらす
「妹ちゃんはできるのに、姉の私ちゃんは全然ダメで」近所のおばさんたちと噂話「私ちゃんはいつも妹をいじめて困る」と、ないことないこと悪口を言っていました。聞こえてるんですけど、頭の悪い毒親さん。
 
父が帰宅すると私の悪事報告会
これは本当にキツかったです。
私が幼稚園生のころ、夜9時ごろ父が仕事から帰宅していました。父と母が食事中、私と妹はすでに布団に入っていました。でも、両親が私のことを話しているのが聞こえて眠れません。
 
母「今日もね、私ちゃんが妹ちゃんをいじめたのよ」
父「まったくあいつは仕方ないな。お前がきちんと叱らないからいけないんだ」
母「そうは言ってもきかないんだもん。それに幼稚園でもおとなしくて友達と話さないみたいだし。妹ちゃんは何も問題がないのに、私ちゃんは・・・」
 
幼稚園生の頃からずっとこの感じでした。毎晩毎晩、私がいかに悪い子どもかと両親が話すので、不安になるし、会話が気になって寝つけませんでした。もちろん、誓って本当にそんなに悪いことをするような悪魔ではなかったのに、です。
 
それでも眠れないのは私のせい
一度、「お父さん、お母さん、部屋が明るいし話が気になって眠れない」と言ったことがありました。すると
「明るくたってうるさくたって、眠る気があれば眠れるだろう!」
と怒鳴られ、叱られました。
仕方ないので、布団に戻りました。相手が両親でなくたって、自分の噂話や悪口を聞いて眠れる人ってほとんどいないですよね?
私は小さい頃からずっと不眠症だったと自覚していますが、その原因はほとんどこの毒親で決定じゃないかと思っています。

 

親だから嫌いにはなれないけど、正直言って毒親への恨み節は止まらないし、彼らのしてきたやり方はきっちり否定し続けたいです。

 

 毒親の呪縛から解放されたい方はこちらを参考になさってください。

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親がうつ病でも子どもに与える悪影響を少なくする方法を考える〜親が病気のとき、子どもへの接し方〜

うつ病持ちの人が親になると、子どもにどんな影響を与えるかという記事はよく見かけますが、子どもがいるのにうつ病になってしまったときの対処法に関する記事は少ないように思いました。そこで、子どもに与えるネガティブな影響を少しでも減らし、子どもにとって安心できる家庭を築く、安定した精神状態を子どもに持ってもらう方法がないか、親が子どもにしてあげられることは何かを考えてみました。
 
もちろん、心身ともに健康な両親のもと、安心安全な家庭に育つ子どもと比べれば、影響が及ぶことは避けられないと思われます。しかし、うつ病になってしまったときはどうしようもありません。子どもに影響が及ぶことも覚悟し、それでも今できるなかで最善策は何かを考え実行するのみです。
 
子どもに寂しい思いをさせない
子どもの年齢にもよりますが、とにかく親は子どもに「あなたのことが大好き」「あなたが宝物だ」と声に出して伝え、抱きしめます。このとき、例えば「食事の支度をしてくれるあなたが好き」のように、条件付きで愛を伝えるのは絶対にいけません。それをすると、子どもに仕事を義務化してしまうことになりますから、必ず避けてください。親は無条件に「ありのままのあなたを受け入れるよ」と伝える姿勢が大切です。何もできなくても、とりあえず子どものそばで見守っているだけでもいいかなと思います。
 
親の病気は子どものせいではないと伝える
子どもにとって親は絶対の存在であり、子どもは、親の存在が自分の一部のように感じている面があります。親が体調不良で寝ているだけで、子どもは普段より静かになりがちです。共感性が高く優しい子どもは、「もしかして自分のせいでお母さんが病気になっちゃったのかも」と不安に感じると思います。子どもに無条件の愛を伝えるとともに、「あなたはいつも通りいてくれるだけで大丈夫だよ」と安心させる声かけをしましょう。
 
子どもの話をよく聞く
子どもが学校から帰った後やお出かけから帰った後、子どもの話を積極的に聞いてあげましょう。このとき、なるべく子どもの目を見て笑顔で話を聞きましょう。また、否定することなく「そうなんだね」と肯定的に聞き、「あなたの話が聞けて嬉しいよ」と褒めて受け入れましょう。うつを患っているときはこういったコミュニケーションすらしんどいかと思いますが、可能な限り対応したいものです。
 
家事をやらせない
病気に限った話ではありませんが、本来なら家庭を守るのは両親の仕事です。その責任を子どもに押し付けて甘えてはいけません。特にうつ病の症状がひどいときは、トイレに行くのもしんどいほどですから、そばにいる子どもに頼りたくなる気持ちが出てきてしまうかと思います。でも、子どもがうつ病を理解できる年齢か否かにかかわらず、子どもはすでに精神的なダメージを負っているはずです。これ以上子どもに影響しないように、大人が協力して解決できるように努めましょう。夫婦で助け合ったり、家事代行サービスを頼んだり、親族などにお願いしてみたりして、子どもの負担にならないように気を配りましょう。
 
以上が、いま私が考えられる「もし子どもがいるのにうつ病になってしまったら何ができるか」です。上に挙げた方法は、親が病気でなくても気をつけたい基本的なことだと思いますが、病気ならなおさら配慮したいものです。
 
私自身うつ病でお休みしないといけない時期がありました。私の場合は毒である実家から逃れることで、うつ病の回復だけでなく、それ以外の精神的な重圧からも次第に解放され、生活のさまざまな部分で改善がみられます。そのため、どうやらうつ病の根本原因は実家だったのではないかと私のみならず主人も推測しています。とはいえ、毒から逃れたから再発しないという保証があるわけではありません。
 
そんななか、主人と私が子どもを持つことを選択肢の一つとしたとき、もし子どもが生まれてから再発しちゃったら、どうすればいいのか、を考えておく必要がありました。休養と投薬は前提になりますが、「自分のことだけで精一杯だから子どものことまで考えられません」なんて無責任なことはなんとしても言いたくありませんし、子どもに頼ることも考えたくありません。それなら子どもを持たないという選択をするのも、親の責任だと思っています。もし子どもがいてうつが再発してしまったときの備えとして、また、自分が無責任な親にならないよう戒めのために、この記事を書きました。
 

馬鹿な毒親への不満をひたすら吐き出す(1)〜辞めてはいけない習い事漬けの毎日〜

タイトル通り、覚えている限りの毒親への不満を延々吐き出します。自分にとってそれが良い効果をもたらすのかはわかりませんが、ときどきフワッと思い出しては鬱々してしまうので、どこかに吐き出したいと思いました。「人の不幸は蜜の味」と思う方も、「うちも毒親持ちなのでわかります」という方も、私のただの愚痴ですがお付き合いください。
 

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3歳から中学生まで毎日習い事
全く興味のない英会話教室、行きたくない塾、やりたくないピアノなど、母に無理やり習い事をさせられました。父にも家で練習すること、続けることを強制されました。
 
母の期待に答えるしかない幼少期
母がピアノをやらせたのは「お母さんができなかったから」
英語も「お母さんができなかったから」
母が叶えられなかったことを私に無理やりやらせたんです。私は泣いて嫌がりました。習い事にいっても黙って教室の隅に座って抵抗しました。大きくなってからもそれはそれは嫌々通いました。それを母は「あんたは嫌がったけどやらせてよかった」と今でも本気で自慢してるんです。どうかしてますよ。
 
ピアノは今はもう全然弾けません。もともと下手だったし、無理やりやらされたせいで、ピアノを見ると気分が悪くなります。楽器に罪はないけど、大嫌いです。
英語はできます。でも、週1で子どもの英語教室なんて効果はたかが知れてます。英語が今くらいできるようになったのは、中学以降、特に大学受験から大学まで、自分で毎日勉強したからです。決して子どもの英語教室のおかげではありません。”Do you like apple?” や  “Elephant!”が言えただけで、「英語ができる」なんて言わないのに。(←冠詞も複数形も抜けてるし)
 
塾だって大嫌いでした。たーだひたすら計算問題を解くだけ。論理力を鍛えるとか、知力を高めるような、頭を賢くするような塾じゃなかったんです。なぜ幼稚園児のときに母が私を塾に入れたかというと
 
 「だってあんた、全然友達と遊ばないんだもん。このままじゃ引きこもりになっちゃうと思って。」
 
 だそうです。馬鹿ですよねえ(笑)心底馬鹿です(笑)馬鹿すぎて自分の親だと信じたくありません。母の理論では、幼稚園児が家で一人遊びをしてると引きこもりになるんだそうですよ(笑)
 
確かに私は、小さい頃から絵を描くのが好きでした。(中学生のときには県知事賞や市長賞など受賞しました)だけど母にとっては、絵を描くことは価値が低く、友達と遊ぶことや楽器ができることの方がずっと価値の高いものだったようですね。だからありのままの私は否定され続けました。
 
しかも、私が「なんでそんなに外遊びにばっかりこだわったの?私は家で遊んでるの好きだったのに」と聞いてみると
 
「だってさあ、あんたが家にいると、お母さんの気分転換にならないじゃん。一日中あんたに付き合ってたら、お母さん頭おかしくなっちゃうでしょ?普通は子どもっていったら外で遊ぶものなのよ。お母さんも妹ちゃんもみんなそうだったのに、あんた普通じゃないんだもん」
 
うわあ・・(ドン引き。)
 
母の気分を満たすために、私の価値観は犠牲にされたんですね。
念のため言っておくと、私は何か障害を持っていたわけではありません。今もありません。ただ趣味がお絵描きだっただけです。編み物などの手芸も好きでした。折り紙やあやとりも好きでした。単純にこういった工作とか美術とかの芸術系のことが好きだっただけです。
 
いま、自分が子どもを持つくらいの年齢になれば、子どもと二人きりで育児をしていて気分転換に一人になりたいときがあるだろうな、というのは容易に想像ができます。だからといって、その気分転換を、子どもを否定することによって、さらには、子どもに無理やり何かを強制することによって作り出そうなんて、頭どうかしてるなと思います。なんで私が母の心のケアをする仕事を担当してたんだと思うと、父にも母にも、しいては周りの大人にまで失望します。
 
中学生以降、勉強ができない人に対して、一線引いて、ものすごい見下した目で見るようになったのも、これが尾をひいてるのもあったのかなと思います。(最近やっとそういうのしなくなりました)
 
習い事が楽しかった人との違い
習い事漬けだったけど楽しかったっていう人ももちろんいると思います。きっとそういう方たちは、(1)親との信頼関係が出来上がっていて、家庭が安心できる場所だったから、前向きにできたんだと思います。当然ながら、(2)本人の興味もあって、さらには、(3)親が一緒に遊びながら、上手に誘導したんだろうなと想像します。
 
しかし、うちの場合はそんなもの皆無でした。親との信頼関係なんてありませんよ。私は「お母さんはお絵描きしかしない私が嫌いなんだ」「外で遊ぶ子どもじゃなきゃお母さんに見放されちゃう」という不安から、必死に我慢して「親の期待通りのいい子」を演じていただけでしょう。母にとって「妹ちゃん=善、私=悪」でしたしね。信頼関係もなし、私の興味などガン無視、そして親の期待を無理強いさせたのです。
 
「お母さんも一緒にやろう」と言って誘っても「あ〜〜、無理無理!お母さん無理!できない!一人でやりなさい。」と返ってくるばかりで、勉強もピアノも何も、無理やり一人でやらされただけでした。親が一緒にやるなんて姿勢を見せたことはまずありません。ピアノでも英語でも、教室まで無理やり連れて行って、親は偉そうに椅子におとなしく座ってるだけです。自分で努力もせずに、外注、外注! 外注が悪いとは全く思いませんが、親は何も積極的な姿勢を見せないでお金だけつぎ込むだけで、親はお金の無駄だし、子どもは時間と体力、精神力を削られるだけ。喜ぶのは外注先の企業だけですね。それとも私の贅沢だと思いますか? ありがた迷惑です。
 
さらにことを悪くしていたのは、「やめること=絶対悪」という謎ルールです。私はいつも、塾もピアノも英語教室も行きたくありませんでした。でも行くのを嫌がると、「じゃあ辞めるのね?」といって脅されるのです。父も、「中途半端にして辞めると、辞めグセがついてダメな人間になる」といって強制しました。
 
結果、残ったのは心の傷と、親に対する不信感だけです。辞めグセがつくのは、何かを途中で投げ出した経験があるからではありません。何が大事なことかわかっていない、自分で決めて取り組んだ経験がないから辞めてしまうののだと私は思っています。現にうちの主人は、高校と大学で2回も運動部を辞めています。理由はどちらも「キツかったから」「ツラかったから」です。じゃあ、仕事もすぐ辞めちゃう人かといえば、当然そんなわけありません。自分でこれは大事だと思ったことは辛くたって続けるだけのメンタルは持っています。逆に、私は途中でやめたことって、小中高と部活も習い事も特にないですが、メンタル豆腐です。自分で何をすればいいのか決められないし、自信が持てないから不安になって病んでしまいます。主人と住むようになって劇的に回復してきていますが。精神的な支えとなる基礎ができていないところに、形だけなんとか押さえ込もうとしたって、絶対に無理が生じるのです。
 
家に帰りたくない毎日
こんな感じで習い事漬けだったので、小学校低学年のころから、下校時は毎日「ああ、今日はピアノか・・家帰りたくないなあ。」と思いながら帰宅していました。このころから胃痛持ちでした。家に帰ろうとすると手が冷たくなりました。中学生のときは、放課後部活のあと、友達と一緒に帰るんですが、別れ際に「ああ、家帰りたくない。やだなー今日も習い事だ」というのが口癖でした。高校生のときも、放課後部活が終わって、部室で着替え終わると「本当あの家帰りたくないわ。」が定型文でした。今考えてみると、変に思われてたでしょうね(笑)だけど、毒家庭に帰りたい人って、いませんよね。
 
 
 
頭の悪い毒親への不満はまだまだたくさんあるので、ただの愚痴なんですけど、これからも吐き出せる限り吐き出していきます。
 
 
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子どもを攻撃せずにはいられない親 (PHP新書)

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