親がうつ病でも子どもに与える悪影響を少なくする方法を考える〜親が病気のとき、子どもへの接し方〜

うつ病持ちの人が親になると、子どもにどんな影響を与えるかという記事はよく見かけますが、子どもがいるのにうつ病になってしまったときの対処法に関する記事は少ないように思いました。そこで、子どもに与えるネガティブな影響を少しでも減らし、子どもにとって安心できる家庭を築く、安定した精神状態を子どもに持ってもらう方法がないか、親が子どもにしてあげられることは何かを考えてみました。
 
もちろん、心身ともに健康な両親のもと、安心安全な家庭に育つ子どもと比べれば、影響が及ぶことは避けられないと思われます。しかし、うつ病になってしまったときはどうしようもありません。子どもに影響が及ぶことも覚悟し、それでも今できるなかで最善策は何かを考え実行するのみです。
 
子どもに寂しい思いをさせない
子どもの年齢にもよりますが、とにかく親は子どもに「あなたのことが大好き」「あなたが宝物だ」と声に出して伝え、抱きしめます。このとき、例えば「食事の支度をしてくれるあなたが好き」のように、条件付きで愛を伝えるのは絶対にいけません。それをすると、子どもに仕事を義務化してしまうことになりますから、必ず避けてください。親は無条件に「ありのままのあなたを受け入れるよ」と伝える姿勢が大切です。何もできなくても、とりあえず子どものそばで見守っているだけでもいいかなと思います。
 
親の病気は子どものせいではないと伝える
子どもにとって親は絶対の存在であり、子どもは、親の存在が自分の一部のように感じている面があります。親が体調不良で寝ているだけで、子どもは普段より静かになりがちです。共感性が高く優しい子どもは、「もしかして自分のせいでお母さんが病気になっちゃったのかも」と不安に感じると思います。子どもに無条件の愛を伝えるとともに、「あなたはいつも通りいてくれるだけで大丈夫だよ」と安心させる声かけをしましょう。
 
子どもの話をよく聞く
子どもが学校から帰った後やお出かけから帰った後、子どもの話を積極的に聞いてあげましょう。このとき、なるべく子どもの目を見て笑顔で話を聞きましょう。また、否定することなく「そうなんだね」と肯定的に聞き、「あなたの話が聞けて嬉しいよ」と褒めて受け入れましょう。うつを患っているときはこういったコミュニケーションすらしんどいかと思いますが、可能な限り対応したいものです。
 
家事をやらせない
病気に限った話ではありませんが、本来なら家庭を守るのは両親の仕事です。その責任を子どもに押し付けて甘えてはいけません。特にうつ病の症状がひどいときは、トイレに行くのもしんどいほどですから、そばにいる子どもに頼りたくなる気持ちが出てきてしまうかと思います。でも、子どもがうつ病を理解できる年齢か否かにかかわらず、子どもはすでに精神的なダメージを負っているはずです。これ以上子どもに影響しないように、大人が協力して解決できるように努めましょう。夫婦で助け合ったり、家事代行サービスを頼んだり、親族などにお願いしてみたりして、子どもの負担にならないように気を配りましょう。
 
以上が、いま私が考えられる「もし子どもがいるのにうつ病になってしまったら何ができるか」です。上に挙げた方法は、親が病気でなくても気をつけたい基本的なことだと思いますが、病気ならなおさら配慮したいものです。
 
私自身うつ病でお休みしないといけない時期がありました。私の場合は毒である実家から逃れることで、うつ病の回復だけでなく、それ以外の精神的な重圧からも次第に解放され、生活のさまざまな部分で改善がみられます。そのため、どうやらうつ病の根本原因は実家だったのではないかと私のみならず主人も推測しています。とはいえ、毒から逃れたから再発しないという保証があるわけではありません。
 
そんななか、主人と私が子どもを持つことを選択肢の一つとしたとき、もし子どもが生まれてから再発しちゃったら、どうすればいいのか、を考えておく必要がありました。休養と投薬は前提になりますが、「自分のことだけで精一杯だから子どものことまで考えられません」なんて無責任なことはなんとしても言いたくありませんし、子どもに頼ることも考えたくありません。それなら子どもを持たないという選択をするのも、親の責任だと思っています。もし子どもがいてうつが再発してしまったときの備えとして、また、自分が無責任な親にならないよう戒めのために、この記事を書きました。
 

馬鹿な毒親への不満をひたすら吐き出す(1)〜辞めてはいけない習い事漬けの毎日〜

タイトル通り、覚えている限りの毒親への不満を延々吐き出します。自分にとってそれが良い効果をもたらすのかはわかりませんが、ときどきフワッと思い出しては鬱々してしまうので、どこかに吐き出したいと思いました。「人の不幸は蜜の味」と思う方も、「うちも毒親持ちなのでわかります」という方も、私のただの愚痴ですがお付き合いください。
 

 同シリーズの他の記事はこちら

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3歳から中学生まで毎日習い事
全く興味のない英会話教室、行きたくない塾、やりたくないピアノなど、母に無理やり習い事をさせられました。父にも家で練習すること、続けることを強制されました。
 
母の期待に答えるしかない幼少期
母がピアノをやらせたのは「お母さんができなかったから」
英語も「お母さんができなかったから」
母が叶えられなかったことを私に無理やりやらせたんです。私は泣いて嫌がりました。習い事にいっても黙って教室の隅に座って抵抗しました。大きくなってからもそれはそれは嫌々通いました。それを母は「あんたは嫌がったけどやらせてよかった」と今でも本気で自慢してるんです。どうかしてますよ。
 
ピアノは今はもう全然弾けません。もともと下手だったし、無理やりやらされたせいで、ピアノを見ると気分が悪くなります。楽器に罪はないけど、大嫌いです。
英語はできます。でも、週1で子どもの英語教室なんて効果はたかが知れてます。英語が今くらいできるようになったのは、中学以降、特に大学受験から大学まで、自分で毎日勉強したからです。決して子どもの英語教室のおかげではありません。”Do you like apple?” や  “Elephant!”が言えただけで、「英語ができる」なんて言わないのに。(←冠詞も複数形も抜けてるし)
 
塾だって大嫌いでした。たーだひたすら計算問題を解くだけ。論理力を鍛えるとか、知力を高めるような、頭を賢くするような塾じゃなかったんです。なぜ幼稚園児のときに母が私を塾に入れたかというと
 
 「だってあんた、全然友達と遊ばないんだもん。このままじゃ引きこもりになっちゃうと思って。」
 
 だそうです。馬鹿ですよねえ(笑)心底馬鹿です(笑)馬鹿すぎて自分の親だと信じたくありません。母の理論では、幼稚園児が家で一人遊びをしてると引きこもりになるんだそうですよ(笑)
 
確かに私は、小さい頃から絵を描くのが好きでした。(中学生のときには県知事賞や市長賞など受賞しました)だけど母にとっては、絵を描くことは価値が低く、友達と遊ぶことや楽器ができることの方がずっと価値の高いものだったようですね。だからありのままの私は否定され続けました。
 
しかも、私が「なんでそんなに外遊びにばっかりこだわったの?私は家で遊んでるの好きだったのに」と聞いてみると
 
「だってさあ、あんたが家にいると、お母さんの気分転換にならないじゃん。一日中あんたに付き合ってたら、お母さん頭おかしくなっちゃうでしょ?普通は子どもっていったら外で遊ぶものなのよ。お母さんも妹ちゃんもみんなそうだったのに、あんた普通じゃないんだもん」
 
うわあ・・(ドン引き。)
 
母の気分を満たすために、私の価値観は犠牲にされたんですね。
念のため言っておくと、私は何か障害を持っていたわけではありません。今もありません。ただ趣味がお絵描きだっただけです。編み物などの手芸も好きでした。折り紙やあやとりも好きでした。単純にこういった工作とか美術とかの芸術系のことが好きだっただけです。
 
いま、自分が子どもを持つくらいの年齢になれば、子どもと二人きりで育児をしていて気分転換に一人になりたいときがあるだろうな、というのは容易に想像ができます。だからといって、その気分転換を、子どもを否定することによって、さらには、子どもに無理やり何かを強制することによって作り出そうなんて、頭どうかしてるなと思います。なんで私が母の心のケアをする仕事を担当してたんだと思うと、父にも母にも、しいては周りの大人にまで失望します。
 
中学生以降、勉強ができない人に対して、一線引いて、ものすごい見下した目で見るようになったのも、これが尾をひいてるのもあったのかなと思います。(最近やっとそういうのしなくなりました)
 
習い事が楽しかった人との違い
習い事漬けだったけど楽しかったっていう人ももちろんいると思います。きっとそういう方たちは、(1)親との信頼関係が出来上がっていて、家庭が安心できる場所だったから、前向きにできたんだと思います。当然ながら、(2)本人の興味もあって、さらには、(3)親が一緒に遊びながら、上手に誘導したんだろうなと想像します。
 
しかし、うちの場合はそんなもの皆無でした。親との信頼関係なんてありませんよ。私は「お母さんはお絵描きしかしない私が嫌いなんだ」「外で遊ぶ子どもじゃなきゃお母さんに見放されちゃう」という不安から、必死に我慢して「親の期待通りのいい子」を演じていただけでしょう。母にとって「妹ちゃん=善、私=悪」でしたしね。信頼関係もなし、私の興味などガン無視、そして親の期待を無理強いさせたのです。
 
「お母さんも一緒にやろう」と言って誘っても「あ〜〜、無理無理!お母さん無理!できない!一人でやりなさい。」と返ってくるばかりで、勉強もピアノも何も、無理やり一人でやらされただけでした。親が一緒にやるなんて姿勢を見せたことはまずありません。ピアノでも英語でも、教室まで無理やり連れて行って、親は偉そうに椅子におとなしく座ってるだけです。自分で努力もせずに、外注、外注! 外注が悪いとは全く思いませんが、親は何も積極的な姿勢を見せないでお金だけつぎ込むだけで、親はお金の無駄だし、子どもは時間と体力、精神力を削られるだけ。喜ぶのは外注先の企業だけですね。それとも私の贅沢だと思いますか? ありがた迷惑です。
 
さらにことを悪くしていたのは、「やめること=絶対悪」という謎ルールです。私はいつも、塾もピアノも英語教室も行きたくありませんでした。でも行くのを嫌がると、「じゃあ辞めるのね?」といって脅されるのです。父も、「中途半端にして辞めると、辞めグセがついてダメな人間になる」といって強制しました。
 
結果、残ったのは心の傷と、親に対する不信感だけです。辞めグセがつくのは、何かを途中で投げ出した経験があるからではありません。何が大事なことかわかっていない、自分で決めて取り組んだ経験がないから辞めてしまうののだと私は思っています。現にうちの主人は、高校と大学で2回も運動部を辞めています。理由はどちらも「キツかったから」「ツラかったから」です。じゃあ、仕事もすぐ辞めちゃう人かといえば、当然そんなわけありません。自分でこれは大事だと思ったことは辛くたって続けるだけのメンタルは持っています。逆に、私は途中でやめたことって、小中高と部活も習い事も特にないですが、メンタル豆腐です。自分で何をすればいいのか決められないし、自信が持てないから不安になって病んでしまいます。主人と住むようになって劇的に回復してきていますが。精神的な支えとなる基礎ができていないところに、形だけなんとか押さえ込もうとしたって、絶対に無理が生じるのです。
 
家に帰りたくない毎日
こんな感じで習い事漬けだったので、小学校低学年のころから、下校時は毎日「ああ、今日はピアノか・・家帰りたくないなあ。」と思いながら帰宅していました。このころから胃痛持ちでした。家に帰ろうとすると手が冷たくなりました。中学生のときは、放課後部活のあと、友達と一緒に帰るんですが、別れ際に「ああ、家帰りたくない。やだなー今日も習い事だ」というのが口癖でした。高校生のときも、放課後部活が終わって、部室で着替え終わると「本当あの家帰りたくないわ。」が定型文でした。今考えてみると、変に思われてたでしょうね(笑)だけど、毒家庭に帰りたい人って、いませんよね。
 
 
 
頭の悪い毒親への不満はまだまだたくさんあるので、ただの愚痴なんですけど、これからも吐き出せる限り吐き出していきます。
 
 
毒親から解放されて人生をやり直したい方はこちらもどうぞ。

syujin-wife.hatenablog.com

 

 

子どもを攻撃せずにはいられない親 (PHP新書)

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He said that that that that that girl said was wrong. を英訳!言い換えたら簡単〜英文法と英語構文〜

ネット広告で見つけた問題です。一見、「えーthat が5個も並んでる!」って思いますけど、下の文のように言い換えるとわりと簡単にすんなり入ってきます。
 
 
He said  that  that  that  that  that girl said was wrong.
 
         ↓
 
He said (that) the “that” which the girl said was wrong.
 
 
(1) 最初の that 
He said that S’(that that that that girl said) V’(was)~.
彼はthat以下と言いました。の that (接続詞)です。
言い換えはできませんが、省略は可能です。
 
 
(2) 2つ目のthat と5つ目の that
That man is my father.
あの男性は私の父です。
とかに使う「あの」です。(指示語)
ややこしいので the (その)で言い換えてしまいます。
 
 
(3) 3つ目のthat 
この問題となっている文章にはない、that girl が前に使用した”that” という単語そのものを指しています。
 
 
(4) 4つ目のthat
3つ目の that を修飾しています。(関係代名詞)
which と言い換え可能です。
 
 
(5) 5つ目のthat は2つ目と同じ
That girl is my sister.
「あの」女の子
 
 
彼は、あの女の子が言った「あの that」は間違っていると言いました。
 
 
これ自体が使われることはないでしょうけど、英文法とか英語構文のクイズみたいで面白いですね。
 

"Sorry for my French." 知ってるけど使わない英語と罵り言葉言い換え(婉曲表現)

ドラマや映画で聞いたり、ネイティブが話してるのを聞いたりして、少しずつ口語表現を増やしたはいいものの、結局失礼だったり下品だったりで使えない表現ってありますよね。でも、意味は知っておきたいところです。さらに、汚い言葉を多少上品に、遠回しに言い換えるための婉曲表現も集めてみました。
 
"Sorry for my French." ってどういう意味?
罵ったり汚い言葉を使ってしまったとき、「下品な言葉を使って失礼」という意味で使います。Excuse my French や Pardon my French も同義。
 
初めて聞いたときは、外国語で、F word のFとかけてるのかと思ったのですが、それにしては直接的すぎてフランス語に失礼だしなあなんて思っていました。きっと英仏の仲が悪かった歴史から使われるようになったのだろうと思います。
 
もし日本人である私が使ったら、一部の人にはウケるかもしれませんが、勘違いされたりすると危ないのでやめておきます。
 
 人によっては、「"Sorry for my ◯◯ (アジア圏の日本と仲のよくない印象のある国の言語)"って言えばいいよ」みたいに勧めてくる人もいるでしょうけど、やっぱり私は勘違いされたくないので冗談でも使いません。
 
"Oh my God!" の言い換え
宗教心の強い方は、Oh my God を使わず、代わりに、Oh my my my… と繰り返したり、goodness や gosh で言い換えていますよね。
 
ちなみに、日本人が “Oh my God!” って言うと、「そこは”Oh my Buddha!” でしょ!」ってからかわれたりします。(特に深い意味はありません)
 
罵り言葉を言い換える婉曲表現
Sorry for my French を使わないためにも、f words(cross words, curse words, swear words とも言います。)を言い換えましょう。場面によっては使うのが自然なときもあるとは思うんですが、多用してるとあまり賢くない人に見えます。安全のためにも使わないほうがいいですね。
 
多少上品な表現方法を思いついただけ書いていきます。
最後の「神聖なるうんこ」から「神聖なる牛」への言い換えなんて、もう笑っちゃいますよね(笑) 表現豊かです(笑)
 
f—king → fricking/ freaking 
 
Shit → Shoot
 
Shut the f—k up → Shut the front door/ Shut the pack up
 
Damn it → Dang it
 
What the f—k → What the heck/ fur/ pack
 
Piss (me) off/ F—k off →  Leave me alone
 
Holy shit → Holy cow
 
※ Shut the front door とか Shut the pack up がどのくらい一般的な言い方なのかわかりませんが、罵り言葉の婉曲表現として耳にしたことがあったので、一応載せておきました。
 
おまけ
Piss (me) off を使うとき、”It’s better you piss me off than piss me on.” って言うと、ちょっと笑えるかもしれません。「イラつかせられる(面倒かけられる)方が、おしっこかけられるよりはマシか。」みたいなシャレっぽい冗談になります。まあこれもケンカしたときは使えるかもしれないですけど、基本使い道のなさそうな英語表現ですね。誰かとケンカしちゃったことを他の仲の良い友達に相談するときなんかは使えるかもしれませんけど。うーん、でも、やっぱり使わない(笑)
 
 
 
スペルミスや間違い等あればご指摘ください。
 

毒親から逃げるのが簡単ではない理由〜気持ちが揺らいでしまうとき〜

心身ともに健康な人は「そんなに親が嫌ならさっさと逃げればいいじゃん」と思うかもしれませんが、考える頭を長い月日をかけて毒親に麻痺させられているので、まともに逃げられないのです。DVなどに見られる夫婦や恋人関係と似ていて、共依存の関係にあるようなものです。変な刷り込み教育をされたおかげで、毒親が望むこと以外をするときは、仮に正しいことをしたとしても、つねに罪悪感を抱えることになります。
 
自分の親が本当に毒親なのかわからなくなる
世の中にはもっとひどい虐待を受けている子や、ひどい扱いを受けてきた人もいるんだから、自分の場合は当てはまらないのでは?と揺らいでしまう。また、親が絶対に正しいという教育を受けてきているため、自分がおかしいのかもと疑ってしまいます。そして、「しつけのため」「自分のためにそうした」と親の言葉を信じてしまっていて、勝手に「他の家もこんなものかな」「自分がまだ大人になりきれないから」とか思い込んでいます。
 
恩もあるし、、と思ってしまう
「逃げなきゃ!」「逃げよう!」と決意したはいいものの、実際に家を出るときになると「それでも育ててもらった恩があるよな」と急に後ろめたさが襲ってきます。
 
義務感と無力感から逃げられなくなる
「子どもは親を大切にしなければならない」「親に逆らってはいけない」「お前は一人ではやっていけない」と幼少の頃から刷り込まれているので、逃げようとしても怖気ずいてしまうのです。
 
過剰に顔色を伺ってしまう
仮に親がおかしいのではと疑って逃げたところで、もし逃げたら今後どう言われるかと考えすぎて、恐怖で動けなくなります。実際逃げたあとも「親はどんな顔してるだろう」と不機嫌な親の顔を想像しては、「親の思い通りになれなかった自分」に罪悪感でいっぱいになります。
 
物理的に距離を置いた後も逃げられない
親から離れて暮らしてからも、毒親の精神的な呪縛から逃れるのには長い時間を要します。私は実家を出てから約5年たちますが、はじめの数年は毒親への罪悪感から不安で怯えていました。そして、生活のあらゆる面で、どれだけ毒に侵されていたのか気づきます。今もまだ完全には抜けきっていません。
 
親が変わってくれたかもと期待を抱いては傷つく
お互い距離を置いて時間がたち、生活が落ち着いて精神的にも安定してくると、なぜか「もしかして親も私の気持ちをわかってくれたかも」と幻想を抱きます。もちろんそんなことは起こりえません。数年離れて暮らしたくらいで変わってくれる親なら、もうとっくの昔に良親になっていたでしょう。
 
結局は傷つくので接触しないのが最善策
会って話をしたあとは、とにかくぐったりしてしまいます。話題がなんであれビクビクしながら対応しているので、その後はとんでもない疲労感です。そして数日してから、「あ、まだ自分は親に恐怖を感じているのか」と気づきます。だから、両親との良い思い出や恩は大事に受け取って次の世代に返し、いまも私を精神的に縛りつけようとする人たちからはきっちり距離を置こうと決めています。もちろんまだまだ揺らぎますけど。気をしっかり持たないと。

毒親に育てられた人が親になるときの心構え

毒親持ちの私が親になるときは、なんとか踏ん張って不幸の連鎖を断ち切りたいと思っています。余裕がなくなると、つい自分の親と同じ言動をとってしまうのではという不安がついてまわります。そんなときに思い出せるように、自分なりの心構えをメモしておきたいと思いました。
 
親は家庭の神様ではない
子どもは一人では生きていけない非力な存在であることは確かですが、子どもが非力だから、親が絶対の権力となって良いという意味ではありません。親が「生んであげた」「一人じゃ生きられないから」といって、「逆らうな」というのはおかしな話です。そもそも、子どもは親を、家庭を選べないのだから、「生んであげた」なんて非常におこがましいですね。そんなことを言う親には「親のわがままで、ここに住まわされている」なんて子どもが言う日がきても、何も言い返せません。
 
親しいなかにも礼儀あり
乳児の頃はただ可愛いだけだったのに、イヤイヤ期や反抗期がくると、子どもだからといって、接し方や態度、言葉がきつくなるときがあると思います。そんなときこそ「親のわがままで、我が家にお迎えしている」というくらい謙虚な気持ちを持って、対応したいものです。間違っても支配的になってはいけません。
 
家庭は小さな社会
「親子だから」と思うと、まるで距離が近くて特別な関係で、「親は子どもの所有物だから何をしても良い」と勘違いする人がいるかもしれません。でも、一般社会でそれをやったら白い目で見られるか、場合によっては刑務所行きでしょう。たとえば、「一人のおじさん(父)と一人のおばさん(母)と、小学生の男女(兄妹)」みたいに、家庭には年齢や性別の違う人間が、ランダムに集められたと思いましょう。そう考えると、血が繋がっていてもそうでなくても、一緒に暮らす同居人に失礼な態度をとらないでおこうと思えるはずです。また、小さな社会で成功体験を積んでいる人は、外の社会でもたくましく行きていけるだろうと思います。
 
子どもも立派な一人の人間
おそらく毒親は、親子という関係に甘えて、距離が近くなりすぎてしまうんだと思います。年齢や性別に関係なく、お互いが精神的に独立した一人の人間であることを認め、尊重し合うのが理想です。支配的な言動をとってしまったと気づいたら、同じ人間として謝罪しましょう。
 
「授かりもの」だけど「預かりもの」
子どもは授かりものと言われますが、親は子どもを自分のものだと勘違いして、過干渉になったり支配的になってしまうと困ります。一緒に住んでいられるのもだいたい20年くらいです。子どもが社会に出るまで責任を持って「預かり」、社会に「お返しする」という気持ちで子育てに臨みたいものです。一緒にいる約20年の間にたくさん良い思い出を作って、「安心して暮らせて楽しい家だったな」と思ってもらえたら万々歳です。
 
 
 
また思いついたら追記していきます。

「学校だと声が小さい」って言わないで〜子どもの人見知り、恥ずかしがり屋でも大丈夫〜

みんなの前で発表するときなど、学校にいるときは声が小さい子っていますよね。特に幼稚園から小学校低学年くらいまでに多いと思います。もちろん、もっと年齢が上でもそういう方はいらっしゃいます。でも、本人は頑張って周りと同じようにやろうとしているので、決して責めず、肯定的に見守ってください。
 
いいところを褒めよう
例えば授業参観に行ってみたら、「うちの子は挙手しないし発表しなかった」「発表してたけど、声が小さいって先生に注意されていた」ということがあると思います。ついついできなかったことや、不足しているところに目が行きがちですが、できたことに目を向けてあげてください。「頑張って発表してたね」「真剣に取り組んでたね」と褒めてあげてください。
 
せっかく親御さんの前でカッコイイところを見せようと頑張ったのに、ダメだしされたら自信をなくして不安になり、それがきっかけでやる気をなくしてしまうこともあります。もしくは、次こそはとやる気を出しているように見えても、それは心からの前向きなやる気ではなく、「親にダメだしされないためのやる気」になってしまいます。これに心を蝕まれると、それがさまざまな障害を引き起こします。
 
人見知り、恥ずかしがり屋=引きこもり では絶対にない
人見知りは一般的に、10歳くらいまでみられるものです。また、それ以降の年齢でも、恥ずかしがり屋、内気な性格の子がいてもなんら不思議ではありません。そして、それ自体が問題になることはありません。問題なのは、親や周囲の大人がそれをネガティブなことだと教えることで、本人までその性格や性質が悪いことだと認識してしまうことです。私は小学校3年生くらいまで人見知りが激しかったです。毒両親からは、「お前は声がちっちゃい」「家ではでかい声でしゃべるくせに」とダメだダメだと散々言われましたが、大学では留学に行って、現地の学生に混じってクラスで発言したり、スピーチしたりが平気になってしまうほど、人見知り、恥ずかしがりなんて勝手になくなりました。それでも自信がないときはまだ声小さくなりますけど。
 
アメリカなんかだと、自分のアイデンティティをしっかり主張しますから、一見みんなが社交的に思えるかもしれませんが、実際は「私は別にシャイではないけど、物静かなだけ」なんてサラッと言っちゃうおとなしい人もいるくらいです。テレビでよくみかける有名な女優さんや俳優さんでさえ「私は人見知りな性格です」っておっしゃる方もいますよね。人見知りだからあなたなんとかしてよっていうのでは困りますけど、別にただの性格なだけで、生きるのになんら問題はありません。うちの毒親みたいに、「人見知りが治らないと引きこもりになる」と信じている人が果たしているのかもわかりませんが、そんなことありえません(笑)
 
堂々と「シャイです」と言わせてOK
声が小さいこと=悪いことになってしまうと、発言すること自体が嫌になり、さらには自尊心をダメにしていきます。私も親に言われすぎたせいで、神経質になってしまって、アラサーになった今でさえ、外で話すときは気にしてしまいます。逆に英語のときは、親に押し付けられた価値観の世界を出られるからなのかわかりませんが、日本語のときよりオドオドせずにはっきり話せてる気がするんですよね。無意識なんですが。
 
どうでもいいことを、親の価値観だけを理由に押し付けても、何も良い結果を生みません。この際、「私はみんなの前で発言するのが得意じゃありません」「私はこういう場面だと声が小さくなっちゃう」と堂々と胸を張らせてやるくらいでちょうどいいんですよ。「どんな性格のあなたでも、お父さんお母さんは受け入れるよ」と表現し続けてください。私は必ずそうすると誓います。
 
また、外だと声が小さくて悩んでいる方は、まずはそれでもいいと開き直るくらいのつもりで自分を肯定してあげてください。何度も言いますが、それ自体はなにも悪いことではありません。どうしても必要に迫られれば大きな声で話せるようになるはずです。もしまだそうでなければ、それはまだ必要なタイミングじゃないだけです。それでいいんですよ。大丈夫です。